2012年11月14日水曜日

ふたつの夢「ふたつめの夢」

(C)2012 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

  ふたつの夢「ふたつめの夢」
                            作・水城ゆう


 美容院のドアをあけたら、いらっしゃいませ、という元気な声がいくつも降ってきた。
 この美容院はオーナー美容師が自分の知り合いの知り合いで、カリスマ美容師たちのカリスマといわれているほどの腕前であり、また資格も持っている人だということだ。彼に切ってもらうのが理想ではあるが、私はとくにこだわっていない。若い美容師に交代で切ってもらっている。彼らとよもやま話をするのが楽しみでもある。
 元気な声は彼らと彼女らのもので、自分がはいっていくとすぐに、お荷物をお預かりしますこちらへどうぞ、といって丁重な扱いを受けた。
 自分はパナマの帽子と風呂敷包みを預け、鏡台の前の椅子によっこらしょと腰をかけた。
 外苑前から国立競技場に向かう途中にある店で、明るい道路に面しているのになぜか地下にあって、店内は薄暗い。しかし、明かり取りの窓が地表近くにあるので、完全な闇というわけでもない。地下特有の水のにおいというか湿気を感じる。
 ちりちりにちぢまらせた髪型の若い美容師がやってきて、今日はぼくが担当させていただきますどうぞよろしく、といってこちらの髪をちょっと触った。
 どうなさいますか、というので、任せるけどさっぱりと軽くしてくれないかなプールで泳いでいるので水に濡れた後始末が楽なのがいいんだ、と答えた。このちょっと伸びた感じはけっこうかっこいいですよもったいないですね、といわれたが、いや思いきってさっぱりとやってくれと要求した。
「そういえば、お客さん」
 と、若い美容師がいう。
「以前、この店に住んでおられたそうですね」
 自分はびっくりして聞き返そうとした。
 若い美容師はちゃきちゃきと鋏を鳴らしはじめた。切られた髪がするどく飛んで、凶器のように目に突きささるような気がして、自分は思わず目を閉じた。
「おれが? ここに?」
「ええ、オーナーからそう聞きましたけど」
 いわれてみると、そんなことがあったような気がしてきた。たしかに自分は一時期、地下室に住んでいたことがあった。光があまり差しこまなくて薄暗いことはそれほど苦でもなかったが、湿気が多いのにはまいった。業務用の除湿器を買って、四六時中回していた。バケツ一杯ほどの水が数時間おきにたまるほどだった。
 それがこの場所だったとはうっかり忘れていた。
 自分はあらためて鏡越しに店内を見回してみた。
 地下室なのに天井がかなり高い。ダクトが天井からのびていて、そこで換気がされているようだ。美容室なのに本棚がある。オーナーの趣味だろうか、床から高い天井までしっかりと作りつけられた本棚に、文学書や思想書を中心にびっしりとハードカバーが並んでいる。
 本棚がない部分の壁には額にはいった絵がかけられている。ひとつはモノクロの、目つきの鋭い猫を抱いた裸女の絵。もうひとつは「強盗」とキャプションがはいった雑誌の表紙のような絵。
 本棚といい絵といい、美容院にしてはかなり変わった内装だ。
 ここに自分が一時期住んでいたらしい。
 自分が住んでいたときは、本棚も絵もなかった。自分はほとんど本を持たない人間で、思い出してみるとソファベッドをここに置いていた。昼間はソファとして使い、夜になるとがらがらと引きのばしてベッドにし、真っ暗闇のなかで湿気を感じながら眠りについていた。
 ちゃきちゃきと飛んでくる髪をがまんして薄目をあけると、鏡のなかでは自分の背後にカウンターがあるのが見えた。カウンターにはウイスキーやリキュールの瓶がならんでいて、さらにその内側にはサイフォン式のコーヒーメーカーがあり、美容師がコーヒーをいれている。
 もうひとつ奇妙なことに、私のすぐ背後で女がひとり、光る板を持ってなにやら読みあげている。
 どうやら朗読をしているようだ。
 彼女も最近、この店のオーナーに髪を切ってもらったらしく、大胆ともいえるほど短いカットになっている。私は長い髪の彼女しか知らないので、まるで知らない人を見るような気がする。
 ここに自分が住んでいたときは、だれに遠慮することもなく音を出せたので、ピアノを置いて、昼夜かまわず演奏していた。
 いまはカウンターもあるし、私が住んでいたころほど広くはなくなっているので、ピアノはなく、せいぜいカウンターの端っこに小さなキーボードとコンピューターを置いてささやかに演奏する程度だ。
 さて、ようやくここにたどりついた。
 私の演奏をいまあなたは聴いている。
 彼女の朗読をいまあなたは聴いている。
 彼女がいままさに読んでいるのは、この文章だ。
 これは私の夢なのか、それともあなたの夢なのか。

ふたつの夢「ひとつめの夢」

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  ふたつの夢「ひとつめの夢」
                            作・水城ゆう


 家族そろってヘリコプターに乗ることになった。
 ヘリコプターに乗るのは生まれて初めてのことだ。家族全員が生まれて初めてヘリコプターに乗るのだ。
 ヘリコプターは私が通っている小学校の校庭に降りていて、乗りたい者が順番にならんで乗りこむのを待っている。
 ヘリコプターは軍用のものらしく、ボディが迷彩色に塗られていた。それがひっきりなしに飛び立ったり、着陸したりして、人々を乗降させている。
 家族連れが多い。
 私も父と母、私と妹の一家四人で列にならんだ。私たちの前には三百人くらいの人がいるように見えた。いつになったら乗れるんだろうと、私は心配になった。そして少しおしっこをしたいことにも気づいた。乗れるようになるまでおしっこを我慢できるだろうか。
 私たちの前には太った家族がいた。おなじ四人家族で、ただし子どもはふたりの女の子。両親もふたりの子どももとても太っている。たぶん四人合わせた体重は四百キロはあるにちがいない。そんなに太った一家を乗せてもヘリコプターは平気なのだろうか、私たちが乗る前に墜落して私が乗れない事態になるのはいやだな、と利己的なかんがえが浮かんできた。
 それにしても、私が通っている小学校でこのふたりを見たことはなかった。これほど目立って太っているふたり姉妹がいたら、絶対に知っているはずなのに。よその小学校からわざわざヘリコプターに乗りに来たのだろうか。その強欲な感じになんとなく嫌な気持ちになってしまった。
 そしたらとたんにヘリコプターに乗りたくなくなってきた。
 ちょうどヘリコプターが乗客を乗せて飛びたっていくところで、ものすごい砂埃が舞いあがり、列をなぎたおさんばかりの強風を吹きかけてきた。私は埃を避けて薄目をあけ、それでも飛びたっていくヘリコプターを見ていた。
 上昇していくヘリコプターのさらに上空に、ぽつんと小さな点のように、空をゆっくりと横切っていく飛行機の影が雲の合間に見えた。私はとたんに、どうせ乗るならヘリコプターなんかではなく飛行機のほうがいいというかんがえに取りつかれた。
「父さん、ぼく、ヘリコプターより飛行機に乗りたい」
 すると父と母が同時にきっとした目で私を見た。しかられたような気がして、私は妹のほうに目をそらした。妹も私をきっとした目つきでにらんでいる。
 私は言い訳するようにつけくわえた。
「でもいまはヘリコプターでいいな。ヘリコプターに乗りたい」
 父がこたえた。
「おまえは飛行機のほうがいいのか」
「ううん、ヘリコプターでいいよ」
 私は急に膀胱がぱんぱんに張っていることに気づいた。
「飛行機のほうがいいんだな」
「別にどっちでもいいけど、いまはヘリコプターでいい」
 父の目は私の心のうちをするどく見すかすようだった。
「わかった。ヘリコプターはやめにして、飛行機に乗ることにする」
「え、いいよ、ヘリコプターで」
「いや、飛行機だ」
 父がそういった瞬間、私たちの前にならんでいた人々の姿がかき消え、目の前に巨大なジャンボジェット機がどすんと現れた。
 いったいどこから現れたんだ、といぶかる間もなく、タラップを父と母と妹がのぼりはじめたので、私もあわてておしっこをがまんしながらタラップをのぼった。
 飛行機のなかはがらんとしていて、座席がひとつもなく、窓もなく、まるでトンネルのようだった。窓はなかったけれど、壁全体が光っていて、まぶしいくらい明るかった。しかし、窓がないとせっかくの景色が見られないと思って、残念な気持ちになった。そもそも、どこに座ればいいんだろう。便所はあるんだろうか。おしっこがしたくてたまらない。
 がらんとした飛行機のなかに、ぱたぱたという物音が響いていた。音のするほうを見ると、なにやら空中に浮かんでいる。ふわふわと不安定に上下しながら移動している。
 よく見ると、それはミニチュアのヘリコプターで、迷彩色に塗られていた。模型のヘリコプターをだれかが操っているのだろう。それにしてもなぜ飛行機のなかにヘリコプターが?
 ぱたぱたと不安定にホバリングするヘリコプターを前に立ちすくんでいる父と母を押しのけ、私はもっとよく見ようと近づいた。ヘリコプターのほうも私に近づいてきた。不思議にこわくはなかった。
 ヘリコプターが私の目の前でとまったので、なかまでよく見ることができた。ヘルメットをつけたパイロットが小刻みに操縦桿を動かしているのが見えた。後部座席にいる乗客たちまでよく見えた。
 後部座席にひしめくように座っているのは、あの太った四人家族だった。私のほうを見てびっくりしたような顔をしている。
 それを見たとたん、私の膀胱がはちきれた。

2012年11月8日木曜日

舞踏病の女

(C)2012 by MIZUKI Yuu All rights reserved
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  「舞踏病の女」
                            作・水城ゆう


 飛んでいる象に人が乗っているプリント柄の服を着て、あなたは踊りつづけている。
 回遊魚が泳ぎつづけるように、息をするのも忘れてあなたは踊りつづける。
 もちろん息はしているのだけれど、その息すらも踊りの一部であるかのようにあなたは踊る。

 時間さえあればあなたは踊っている。
 仕事の合間の休み時間にも、通勤中にも、家に帰ってからも。
 だれもいない会議室で、プラットフォームで、トイレで、湯船のなかで。
 キッチンで洗い物をしながら、あなたはステップを踏む。

 調子がいいときも悪いときも、風邪ぎみのときも花粉症のときも。
 重い病気にかかって入院していたときも、あなたは横になったまま踊りを夢想しつづけていたし、実際に身体はわずかに動いていたかもしれない。
 医師や看護婦や見舞い人に気づかれないほどかすかにではあったけれど。

 わたしはあなたのようには踊れないけれど、あなたを見ているうちに私も踊っているのかもしれない、ということに気づいた。
 足が悪くてあなたのようにステップは踏めないけれど、わたしは踊っている。
 ありがとう、わたしに気づかせてくれて。
 ありがとう、あなたのおかげで私もダンサーになれた。

 あなたにとって歩くことは踊ること。
 わたしにとっても歩くことは踊ること。
 あなたにとって座るのは踊ること。
 わたしにとっても座るのは踊ること。
 傘をさしたり、バッグを肩にかけたり、眼鏡をずりあげたり、クラリネットを吹いたり、あなたのおかげでいつもわたしは踊れるようになった。

 ご飯を食べるとき、あなたの箸がおどる。
 ご飯を食べるとき、わたしの箸がおどる。
 茶碗が踊る。
 ナイフとフォークが踊る。
 顎と歯が踊る。
 あなたと話すとき、あなたの唇が踊る。
 あなたと話すとき、わたしの唇が踊る。
 舌が踊る。
 顔面が踊る。

 象が空を飛ぶことを夢見るように、わたしもあなたも華麗なステップの時間を夢想している。
 わたしたちは踊ることに取りつかれた女。
 あなたもわたしも舞踏病の女。
 踊らずには生きていけない女。