2011年1月25日火曜日

初恋

©2011 by MIZUKI Yuu All rights reserved Authorized by the author

----- 朗読パフォーマンスのためのシナリオ -----

  「初恋」

 聞いてる? そこにいるの? いいの、わかっているの、あなたがそこにいるのは。なにもいわなくていいわ。なにもいわなくていいから、それより私の話を聞いて。お願いだからそこにいて、私の話を聞いて。でもいいの。あなたがそこにいてくれようがくれまいが、どっちみち私はこの話をするんだから。この話をしなければ私はたぶん明日まで耐えられないでしょう。ここにこのままじっとして、このことをだれにも話さないまま明日の朝を迎えるなんて考えられない。聞いてる? いいわ、聞いてくれてるのね。なにから話しましょうか。そう、最近私、「神様なんかいない」という本を読んだの。神様というのは人間が作り出した妄想だっていうのよ。たしかに私も神様なんてそれほど信じてはいなかった。だってそもそも私はクリスチャンでもないし。といって仏教徒というわけでもない。もちろんムスリムでもないし、ゾロアスター教徒でもないわ。両親の葬儀は仏式でやったけれど。でもそれは、両親が亡くなったとき、親戚の人たちがよってたかってうちの先祖代々の浄土真宗のやり方で段取りをつけてしまったからだわ。私はなんにもしなかった。もちろん死んだ両親もなにもしなかった。そもそも死んだ両親が浄土真宗を信仰していたかどうかもあやしいものだわね。仏様の話じゃなくて神様の話だった。いえ、どちらでもおなじことね。ようするに宗教なんて人類の妄想だし、それを利用してうまく立ちまわって世界を支配したりお金をたくさん集めたりする人が何千年もいつづけてきたっていうこと。そういう本を読んだのよ、最近。立派な科学者が書いた本だった。なるほどと思った。でも、こんなことがあると、神様なんて自分の都合のいいときにしか信じない私でも、ひょっとして本当にいるのかもしれないと思うことがあるわ。気まぐれでいたずらな神様がね、私のことをからかっておもしろがってるんじゃないかって思えるのよ。そう思わなきゃ今回のことなんて信じられない。こんなことが自分の身に起こるなんて、何十年も生きてきて想像したこともなかった。何十年。そう、私は何十年も生きてきた。正確にいえば、七十七年生きてきた。この世に生まれ落ちてから、なんてこと、そう、七十七年もたってしまった。もう立派なおばあちゃんだ。だれが見たって白髪の、皺くちゃの、腰の曲がった、シミだらけの、年老いた老婆だ。十七歳の頃は自分が七十七の老婆になるなんて想像もできなかった。そうでしょう? あなただってそうでしょう? 十七歳どころか、五十歳のときだって、七十七の老婆になるなんて考えられなかった。五十のときにはまだ自分が十七歳のような気がしていた。身体だって元気だし、そりゃあ確かに十七歳のときみたいに颯爽と森を駆け抜けたり、波を切って泳いだりはできなくなっていたわ。でも、心は十七歳のときとなにも変わってはいなかった。十七歳のときとおなじように、かぐわしい風に産毛が逆立ったり、満天の星に胸が震えたりした。それはいまだってそう。心のなかはなにも変わっていない。変わったのは身体だけ。髪はハトがついばんだように白くなり、肌は釣りあげられたタコのようにゆるみ、腰は強風にあおられたように曲がってしまった。それは悲しいことだけれど、耐えられないほどの悲しみではない。だって、そんなふうに年老いていくのはなにも私だけではないのだから。私とおなじようにほかの人も、いえ、ほかの人とおなじように私も、身体はゆっくりと年老いていって、やがては耐用年数の限界が来るというわけ。それはすべての人間の運命だから、悲しいことではあるけれど、耐えられないというわけでもない。わかるでしょう? 耐えられないのは、私の身体のなかにはまだ十七歳の心の私がいるのに、身体だけが朽ちていって、十七歳の私もついには居場所がなくなって、身体から追いだされてしまうということ。追い出されてどこに行くのかって? どこにも行く場所なんてない。行くあてなんかない。だから、十七歳の私は消滅するしかない。消えてなくなるしかない。まだ十七歳なのに。ううん、天国なんて信じちゃいない。あの世とか、天国とか、来世とか、生まれ変わりとか、私は信じちゃいない。さっきもいったけれど、神様なんていないと思う。都合のいいときにだけ神様にお祈りして、お祈りが通じたと思ったこともあるけれど、本当は神様なんか信じちゃいなかった。あの世なんてないし、神様もいない。身体が朽ちて滅びれば、私の心もなくなってしまう。それだけ。でも、こんなことがあると、ひょっとして神様はいるのかもしれないと思うのよ。それもとびっきりいたずらな神様がね。ああ、そう、あの人のことをいっているのよ、私は。あの人。彼。坊や。いえ、だめよ、その呼び方はだめ。坊やなんて呼んではだめ。私のいい人。愛する人。私の大事な人。私の命より大切な人。そうよ、私の命より大切なんだわ。私より彼のほうが長く生きることは、よほどのことがないかぎり確実なんだから。なにしろ、彼はまだ二十二なんだから。二十二、二十二。二十二歳。私の二十二歳はどんなだったかしら。もう思い出せないくらい昔のことね。いまから何年前のことかしら。いやだ、五十年以上前のことなのね。五十五年も前のことだわ。ということは、私と彼とは五十五歳離れているということ。私がいまの彼の年齢だったとき、彼はまだこの世に生まれていなかった。私が五十五歳になったとき、彼がやっと生まれてきた。五十五歳年下の人。そんな男性から求婚されるなんて。なんてことかしら。なんということなんでしょう。彼から求婚されたときにはほんとうに驚いたわ。だってそうでしょう。夢かと思った。夢じゃないとわかったら、今度は彼の頭がおかしくなったんじゃないかと思った。それで彼にそういったのよ。頭がおかしくなったんじゃありませんこと? って。そしたら彼は、そうかもしれません、あなたに夢中のあまり頭がおかしくなってしまったんです、っていうのよ。だったら、結婚してなんて冗談はいわないでくださいな。心臓に悪すぎます。いえ、冗談なんかじゃありません。僕は真剣なんです。あなたに夢中なんです。頭がおかしくなったというのはそういう意味です。

 まだあげ初《そ》めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛の
 花ある君と思ひけり
 やさしく白き手をのべて
 林檎をわれにあたえしは
 薄紅《うすくれなゐ》の秋の実に
 人こひ初めしはじめなり
 わがこゝろなきためいきの
 その髪の毛にかゝるとき
 たのしき恋の盃を
 君が情けに酌《く》みしかな
 林檎畠の樹《こ》の下《した》に
 おのづからなる細道は
 誰《た》が踏みそめしかたみとぞ
 問ひたまふこそこいしけれ

 まったくどうかしてる。だれだってそういうと思います。けれど本当なんです。事実なんです。あなたのことを愛しています。真実なんです。僕と結婚してくれなきゃ僕は死んでしまいます。そこで私は彼にいったのよ。あなた、自分のいっていることをちゃんとわかっていらっしゃるの、って。人が聞いたらどう思うかわかっていらっしゃるの? わかってますとも。頭がおかしいんじゃないかっていうに決まってます。でも、本当なんです。あなたに夢中なんです。財産目当てなんじゃないかって思われることもわかってます。でも、そんなもの、僕はいらない。財産なんかが目当てじゃない。ただ僕はあなたと結婚したいだけなんです。彼が財産目当てじゃないことは確かよ。だって私、お金に困っているというわけじゃないけれど、けっしてお金持ちでもないもの。私が持っている財産なんかたいしたことない。親が残してくれた不動産が少し。贅沢さえしなければ不自由なく暮らせるだけの収入はあるわ。でもたいした額じゃない。こうやって老後を不自由なく暮らせるだけの資産があることはありがたいと思ってる。でも、人からうらやまれるほどのものじゃない。年下の男性からねらわれるほどのものじゃない。もし結婚したとして、私が先に死んだら、それはほとんど確かなことだけれど、私の財産を処分したとしてもほとんどまとまったお金になんかならないはず。そんなものが目的で彼が私に求婚するなんてことはありえない。彼が私と結婚して得るものは、彼が失なうものに比べればとてもみみっちいものよ。彼がなにを失うのかって? それはたくさんのものを失うはずよ。この結婚に反対する家族や親族を失うかもしれない。友だちだって失うかもしれない。頭がおかしくなったんだっていわれて、仕事だってうまくいかなくなるかもしれない。なにより、あんなばばあと結婚するなんてといっぱい陰口をいわれて、きっとたくさん名誉を傷つけられるわ。彼が失うものはとても多いと思うのよ。私はもちろん彼にそういったわ。でも彼はきかなかった。どうしても結婚してほしいといってきかなかった。でなければ私の前で死んでしまうともいった。私は折れたわ。そして、あなたも知っているように、そう、明日が私たちの結婚式よ。結婚式。私の初めての結婚式。彼も初めてよ。私たちふたりとも結婚するのは初めてなのよ。そういう意味ではおなじ経験をふたりでするのよ。ただ年がとても離れているだけ。彼は初めての結婚だけれど、これまでに何人かは恋人がいたというわ。そのことを彼は私に正直に話してくれた。でも結婚するまでにはいたらなかった。どの相手とも数ヶ月から数年で別れてしまった。そんなことを話したあとに、彼は私のおそれていた質問をしたわ。あなたはどうなんです? あなたにもさぞかし多くの恋人がいらしたんでしょうね。もしよければ話してくださいませんか。私は答えたわ。そんなこと、あなたに話したくないわ。私のつまらない思い出なんかどうでもいいの。これから作っていくあなたとの時間のほうが大切じゃないこと? 彼は納得してそれ以上質問しようとはしなかったけれど、私は胸が痛かったわ。なぜかというと、私はどうしても彼に話せなかったから。隠し事をしたわけではないけれど、話さなかったのは隠し事をしたことと同じだわ。彼はまだ知らないのよ。私にとって彼が初めての人だということを。いえ、結婚のことじゃないわ。男の人のことよ。私はこれまでひとりも恋人がいなかったのよ。思いを寄せた人はいたわ。そりゃあ私だって好きになった人はいたわ。ひとりやふたりはいたわよ。でも、どの思いもかなわなかった。それから、求愛されたこともあったわ。自慢するみたいだけど、正直にいえば、何人かいたわ。片手の指では足りないくらい。でも、だれの求愛も私は受けなかった。私が好きでもない人の求愛をどうして受け入れられるというの? でも、今度は違う。彼から求婚されたとき、私はたしかに私のほうも彼のことを愛してしまっていたことに気づいたの。そうなの、待ちに待った愛だわ。ただ、その時期があまりに遅すぎただけ。私は苦しいの。あなたにこうやって打ち明けながらも、苦しさに変わりはない。このまま死んでしまいたいくらい苦しい。明日のことを思うと、とくに明日の夜のことを思うと、どうしていいのかわからない。彼は結婚式が終わってふたりきりになったら、私をどうするつもりかしら。まさかこんなおばあちゃんをどうにかしようなんて思ってないと思うけれど、わからない。二十二歳の男の子といっていいような若い男性の考えていることなんて、私には想像もつかない。もし彼が私を求めてきたら、私はいったい……いったい、どうすればいいの。ねえ、どう思います? そのとき私はどうすればいいと思います? あなたにこんなことを聞いても無駄ですわね。あなたの問題ではないんですもの。彼と私の問題なんですから。ときどき、こんなふうに、だれにも答えることができない自分の問題について自問自答していると、私は本当に孤独を感じるの。ひとりぼっちだという気がしてくるわ。もっと若くに愛し合える人に出会って、連れ合いができていればよかったのに。もしかすると子どもも何人かできて、いまみたいにひとりぼっちということはなかったかもしれない。こうやってひとりでいると、私はまるで自分が灯台守にでもなったように感じることがあるわ。孤島にただひとり、灯台を守っている女。この家のまわりに本当はなにもなくて、ただ荒地と岩の上に立っている灯台であって、私はそこでだれの訪問も受けず、どこにも出かけることもなく、ひとりで灯台を守っている。灯台のまわりには、街ではなく海が広がっていて、いまの時期だと寒い北風がただびゅうびゅうと吹きつけてくるだけ。たまに渡り鳥が羽を休めに降りてくることはあるけれど、その鳴き声すらも風にかき消されて灯台の中までは聞こえない。灯台に明かりを入れる時間になってたまにガラス窓の外に目をやれば、遠くを貨物船が通りすぎていくのを見ることもある。でも、その船はただ通りすぎるだけでここへはやってこない。私はだれとも言葉をかわさず、関係も持たず、灯台でひとり暮らしながらゆっくりと時間がすぎて、ゆっくりと自分が年老いていくのを感じているだけ。そんな自分をさびしいと思ったことは何度もある。いまいったように、もっと若いころに恋人ができて結婚し、家族を持っていたらどんなに楽しかったろうと想像したことは何度もある。けれど、最近はさびしいことをあまり嫌だと思わなくなった。たしかにさびしいことはさびしい。でも、結局のところ、人ってなんのために生きているの? 神さまがいるかどうかは知らないけれど、家族がいようが連れ合いがいようが、結局のところ死んでしまえばただの動かない肉のかたまりになってしまうだけ。腐ってしまわないうちに急いで埋めるか焼くかして、残るのはわずかな骨ばかり。なかにいた私は追いだされて消滅するだけ。生まれる前だってそうだったんでしょう? 私がいったいどこからやってきたのか知らないけれど、生まれる前にいた場所に帰っていくというだけのことでしょう。つまり、無に。そうだというのに、恋人がいるとか結婚しているとか、家族がいるとか財産があるとか、いったいどんな関係があるというの。私はひとり。この島の最後の灯台守の女。それでいいと思いはじめていた。寂しいことは寂しいけれど、心は安らかだった。このままこうやって静かに年老いて消えていくことに納得していた。私の仕事はただ、灯台に明かりをともしつづけることだけ。それなのに、あの人が現れてしまった。私の静かな生活は一変した。私の灯台に別の人がやってきた。そして私と結婚したいといいだした。私はそれを受け入れるしかなかった。いままでただの一度もだれかを受け入れたことなんてないのに。私はこれからどうなるんでしょう。彼から求められてなにかを与えるなんてことができるのでしょうか。七十七の私が十七の心をいまだに持っているように、彼だってきっと二十二だけれど十七の心を持っているに違いないと想像したこともある。そしたら私たちおなじことになるでしょう。私たち、年齢と外見こそ違うけれど、おなじ十七歳同士じゃない。だったら楽しくやっていくこともできるかもしれないわ。でも、もし彼が十七の心を持っていないとしたら? 彼はちゃんと年齢相応に二十二歳の青年の心を持っているとしたら? それとも、彼はずっと成長が早い人で、もっとずっと大人になってしまっているのだとしたら? たとえば三十歳に。あるいは四十歳に。それとも五十歳に。もし彼がそうだとしたら、私はとても耐えられない。彼は私を求めるだろうか。それってどんな感じなのだろうか。私はこれまで一度も男の人に触られたことがない。抱かれたことがない。男の人に触られるってどんな感じなのだろうか。それが女にとってとても幸せなことだというのは話には聞くけれど、想像もつかないし、それって本当のことだろうか。映画のなかで男に抱かれる女たちは、皆陶然とした表情を浮かべているけれど、あなたはきっとあんな顔はできない。あなたの顔はきっと苦痛にゆがむだろう。そんなあなたを見て、彼は失望を覚えるだろう。あなたの顔が苦痛にゆがまないとしたら、それはおそらく嘘だろう。あなたの身体は心に反して嘘をまとうことを知っている。あなたはそうやって生きてきたのだから。あなたの心は身体という牢獄のなかに閉じこめられている。でももうすぐそこからも解放されるだろう。なぜならあなたの身体の耐用年数がもうすぐやってきて、電気炊飯器のように壊れて、ガラクタ置き場で朽ち果てていくのだから。そのとき、あなたの心は行き場所を失って消滅する。あなたは明日、私との結婚式を迎える。それは嘘をまとって生きてきたあなたの、最後の、最大の嘘なのかもしれない。あるいはあなたの嘘を最後に追い払うラストチャンスなのかもしれない。私に求められたときあなたはただ自分を私の前に投げだせるだろうか。あなたは抵抗するだろうか。逃げるだろうか。それともすべての嘘を脱ぎすてて私の前に身を横たえるだろうか。しかしそんなことはどうでもいいことだ。私があなたを求めるのは、自分自身の姿をあなたに見るからだ。あなたが生き、うろたえ、あらがい、嘘をまとい、満足したふりをし、善をなしたつもりで笑みを浮かべ、裏切り、裏切られ、疑いながら、いまそこにいる。それはほかならぬ私自身の姿でもある。老いさらばえ、やがて朽ちていく。それが私自身の姿なのだ。私はあなたに私を見る。すべてを見る。だから私はあなたを求める。あなたは私自身なのだ。

2011年1月11日火曜日

自己同一性拡散現象

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----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #77 -----

  「自己同一性拡散現象」水城ゆう


 夢を見ていたようだ。
 という書き出しはよくあるが、実際に夢を見ていたのだ。
 しかし、このところ目覚めるといつも感じるある違和感のせいで、夢の内容を一瞬にして忘れてしまった。
 だから最近見た夢をまったく覚えていない。
「あなた、そろそろ起きてくださらない?」
 リビングのほうから妻の声がする。朝食のしたくをしているらしい。その気配で目がさめたのかもしれない。
 いつごろからだろうか、この違和感を覚えるようになったのは。
 なんといえばいいのか、つまり、いま夢から覚醒してベッドから起きあがろうとしている自分は、昨夜眠りについた自分とおなじ人間なのかどうか、確信が持てないのだ。
 たしかに昨夜眠りにつくときには、この身体であった。この左肘のところ。古い傷がある。これは小学生のころ、スキー場でころんでほかのスキー客にぶつかって怪我をしたときの残り傷だ。たしかにこの身体は私の身体だ。
 いや、私の身体にこの傷があるという記憶そのものは、私の記憶なのだろうか。小学生のときにスキー場に行った記憶。そこでスキーを楽しんだ記憶。転倒した記憶。ほかのスキー客にぶつかり、そのスキー板が跳ねかえって私の左肘を直撃した記憶。痛みと出血の記憶。いまでも生々しく脳裏に浮かべることができる、その記憶。それが私の記憶であるという証拠はどこにあるのか。
 夢で見たことを現実の起こったこととして記憶しているのかもしれない。あるいは、肘の傷はスキー場でのことではなく、だれかからスキー場での怪我だと教えこまれたことを自分の記憶と思いこんでいるのかもしれない。
「早くしたくしないと会社に遅れるわよ、あなた」
 妻が寝室をのぞきこんで、いった。
 私は妻の顔を見る。
 たしかに私の妻だ。いや、私の記憶は、この女性の顔や身体つきの特徴を自分の妻であると私に知らせている。
 しかし、この私の記憶はどこから来たのか。
 この記憶を私のものだと確信している私そのものは、どこから来たのか。そもそもこの身体のなかに最初からはいっていたのか。昨日の自分と今朝の自分がおなじ自分であるという証拠はどこにあるのか。
「なによ、じろじろ見たりして。わたしの顔になにかついてる?」
 違和感が強まっている。
 私が見ているのは、たしかに私の妻の顔だ。姿形だ。手のなかには彼女を愛撫するときの感触まである。しかし、それが私の記憶であるという実感がない。
 この感触はだれか別の者の記憶なのではないか。いま見ている妻の顔、いや妻の顔という画像記憶は、私以外の別のだれかの記憶なのではないか。それがなんらかの原因でそっくりそのまま私のなかに植えつけられたのではないか。
 だとしたら、私の本当の記憶はどこに行ったのか。いまごろ別のだれかのなかに私の記憶が植えこまれ、彼もまた違和感をおぼえながら自分の妻の顔を見ているのではないか。私の本来の記憶にある本来の妻の顔はどんな顔なのだ。そしてどんな感触なのだ。
 私はベッドからのろのろと起きあがった。
 私の記憶が妻だと申し立てている女はまだ不審そうな顔つきで私を見ている。
 私は女にむかって手をさしだした。
 女は反射的に私の手を握りかえした。
 私は女の手をつかんで、自分のほうに引きよせた。
「ちょっと、なに、あなた」
 おどろきながらも、その声にはわずかな喜びが含まれていた。私は女の身体を両腕に抱きしめた。
 この感触も、私の記憶のなかにあるものと合致している。たとえだれかの記憶だったとしても。
 突然、私のなかから聞いたこともない言葉が浮かびあがり、私の口から出てきた。
「一切はただ、心のつくりなり」
 だれがそういったのか、私にはわからなかった。私はたぶん、私ではなく、妻もまた妻ではなく、同時に私は私であり、妻は妻であるのだ。すべては私の心のおもむくままにあるということか。
 おだやかな喜びにつつまれていくのを感じた。柔らかな女の身体の感触を楽しみながら、私は時間を忘れていた。