2011年8月9日火曜日

ラジオを聴きながら

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   「ラジオを聴きながら」

 ラジオを聴きながら、私の主人は手紙を書いている。私はそれを、いつものように窓枠の上に身体を丸めて見ている。
 アナログ放送終了とかを機に、主人はテレビを見るのをやめた。かわりにいつもラジオがついている。必要があればケータイの地デジがあるからいいのだと、彼女はいう。たしかにそうだろう。私は前から、にんげんがなぜあのような箱に映る、うるさく動く絵を熱心に見るのか、よくわからなかった。テレビを見るのをやめた主人は、すこし猫にちかづいたような気がして、私はうれしい。
 手紙を書きながら、私の主人はまた泣いている。
 回収業者がテレビを運びだしていったとき、主人はほっとしたような顔をした。彼女がテレビを憎んでいるのを私は知っていた。テレビはあの日以来、何度も海が押し寄せるのを映し出し、いまになっても隙をみてその映像を流そうとする。
 彼はあの海のむこうに消えた。その海は私の生まれた場所だ。
 われわれはだれかが先にいっても泣いたりはしない。その時が必ずやってくることは知っているし、泣いてもその事実が変わるわけではないことを知っているからだ。私にもその時は必ずやってくる。ほぼ間違いなく、私は主人より先にあちらに行くだろう。
 私がいなくなったら主人はまた泣くだろうか。たぶん泣くのだろう。にんげんは猫よりずっと長く生きるせいで、死に対しておろかになりすぎている。死が遠くにあるせいで、死がどういうものなのかわからなくなっている。
 私がここに、この主人の家にやってくる前は、あの海の街で生まれ、しばらく暮らした。彼が私を主人に引きあわせ、ここにやってきた。
 彼は海の仕事をしていて、家は海べりにあった。その家のことはいまでもよく覚えている。古い家で、建ってからもう七十年もたっているという。その家が建つ前はそのあたりにはなにもなかったのだとも。そのあたりにはただ海岸があり、波が打ちよせ、風が吹きつけるだけだった。
 いまでも波は打ちよせ、風が吹きつけているだろう。カモメが風に逆らって長く伸ばした羽をひらひらさせながら、細長い声をあげているだろう。浜昼顔や月見草が風になびき、アブが羽音を立てて飛んでいるだろう。水平線の向こうからやってきた雲は、ゆっくりと近づき、やがて山の向こうに流れていくだろう。
 日が沈み、星が出るだろう。ペルセウス座の方角に流れ星が生まれ、そしてまたすぐに消えていくだろう。
 彼の生も死も、私の生も死も、主人の生も死も、みなおなじことなのだ。それは海と風と星のなかにある。
 そんなこともわからない主人は、届かない彼への手紙を書きながら、涙を流している。私はただそんな彼女をだまって見つめている。
 ラジオからは聴いたことのない音楽が、この部屋と世界をつなぐゆりかごのように、静かに流れてくる。

2011年5月31日火曜日

繭世界

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   「繭世界」


指先からつむがれた透明な音が長     私は生まれつつあった。
い尾を引いてからたちの刺にから     同時に死につつあった。
みつき真っ青な空の雲を誘惑する
梅雨が明けたばかりの夏の繭。き     世界は開かれつつあった。
らりと眼のすみを横切るのは塩辛     同時に閉じられつつあった。
蜻蛉か青条揚羽かふと顔を向ける
と自転車がもんどり打って倒れよ     闇に光が射しこみつつあった。
うとしていた繭。幾重にも連なっ     同時に闇に閉ざされつつあった。
ていつまでも打ち寄せてくる波の
向こうに見えるのは外洋航路に向
かうコンテナ船の色とりどりの繭。    我々は時間の軸を直線的に生きる
あなたは眼を閉じ身体を丸め折り     わけではない。
曲げた脚を両手で抱えるようにし     時間はからまりあった糸のように
ている。あなたが目覚めているの     もつれ行きつ戻りつしている。
か眠っているのかはあなた自身に     昨日は今日であり、今日は昨日で
すらわからない。閉じた眼の奥で     もある。
線香のようにイメージが交錯する。    昨日の出来事はまだ起こっていな
濡れたアスファルトの上をどこま     いことでもあり、明日の出来事は
でもつづいて伸びる烏の切断され     すでに起こっていることでもある。
た首から流れ落ちた赤い繭。これ
は考えているのか、それとも夢見
ているのか、あるいは幻覚なのか。
あなたは自分が何者なのかは知ら
ないが、ここに来る前にいた場所     津波は来たのかもしれないし、ま
のことはぼんやりと思い浮かべる     だ来ていないのかもしれない。
ことができる。青い海。青い空。     これから来るのかもしれないし、
打ち寄せる波。海岸線を不規則に     すでに来てしまったのかもしれな
区切る岩山の上には沖からの強い     い。
風で斜めにかしいで生えている細
長い松の木が何本か見えている。
波打ち際を歩いていたような気が
する。貝殻を拾い集めていたよう
な気がする。巻貝のからっぽの口     からまりあった糸が作る境界で、
を耳に押し当ててみたような気が     死者と生者が交錯する。
する。あなたは海が好きだったよ
うな気がする。しかしあなたが生
まれたのは海の見えない土地で、
いつも四方を山に囲まれたくぼん
だ場所だったような気がする。太     これは幻視なのか、それとも現実
陽は東にそびえる山脈の高い位置     なのか。
から遅くのぼり、西にも連なる山
々の高い場所に早く沈んだ。夏で
も一日は短く、そのくせ風も吹か
ずやたらと暑い土地だった。海の
近くに住んでみて、太陽が出てい     すべてが不確実なことをだれもが
る時間が長いにもかかわらずいつ     知っている。
も風が吹いて涼しく、見晴らしが
よいことにおどろいた。空がこん
なに広い場所があるということを
あなは知って驚いた。あなたはこ
の地に住むことを決めたような気
がする。それを後悔してはいない。
あなたは自分が何者でどこから来
たのか、どこへ行こうとしている
のかもわからない。そもそもどこ
かへ行く必要があるのだろうか。
あなたはいつからこの繭のなかに     どこかでだれかかが繭をつむいで
いるのかもわからない。だれかに     いる。
試されているのか。だれかに観察
されているのか。だれかに飼われ     我々は時間軸の糸によって繭のな
ているのか。そもそも人間なんて     かにからみとられていく。
そのようなものでどちらでもかま     いまはまだ蛹ですらない未熟で愚
わない。ふいにはっきりした思考     かな存在だ。
があなたの前頭葉に浮かぶ。同時 
に、ここへ来る前にあなたが見て
いたことを思い出したような気が     我々愚かな芋虫がこざかしい知恵
する。赤い血で染められたアスフ     を振りかざし、あたりをいくばく
ァルトがでたらめなダンスを踊り     か汚したところで、繭をつむぐ者
烏の首をはねた電線が喉を病んだ     がなにを気にするというのか。
テノール歌手のように歌っていた。
四角い木綿豆腐が腐って爆発し腐
臭をあたりにまき散らしていた。
溶岩のように熱く重い水に巻かれ
ながらあなたはそれを見ていたよ
うな気がする。水は時間そのもの
でありあなたはそれにからめとら
れてこの繭のなかへとやってきた。
もはや生きているのかも死んでい     もう眠ろう。
るのかもわからないしそんなこと     眠ってしまおう。
はどちらでもかまわない。ただい
まはもう時間のなか深いどろどろ     暖かな繭の奥深くで、どろどろの
の眠りへともぐり降りていくばか     液体に満たされた蛹になってしま
りだ。あなたのなかからなにか生     おう。     
まれてくるかどうかはだれもわか     
らないしそこにはもちろんあなた     生まれつつあると同時に、死にゆ
はもういない。             く存在になろう。
                              (おわり)

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2011年5月29日日曜日

帰り道

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  「帰り道」


 夜の帰り道
 線路脇で星空を見上げるのが癖になった
 東京の空は明るくて
 星はいくらも数えられない
 遠いふるさとの空には数えきれない星がある
 電車が通過する音を聴きながら
 そんなことを思う

〈地の光は絶え
 築けしものも流れた
 多くの魂が去り
 幾万の涙が流れた〉

 月のない夜
 春が去っていく夜
 かすかな星明かりをさがして
 失われたものを思う

 それでも風は吹き
 波は打ち寄せ
 木々は芽吹いて青々と茂る
 それでも星は輝き
 夜明けはやってくる
 それでも人々は生き
 涙は笑顔に変わる

 朝になれば線路脇では
 ヒバリがさえずるし
 ハナミズキが咲きかけている
 紫陽花さえもうじき咲きそうだ

2011年5月22日日曜日

祝祭の歌

(C)2011 by MIZUKI Yuu All rights reserved
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----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #78 -----

  「祝祭の歌」


 その時 きみは見たか
 揺れ動くビルを
 くずおれる家屋を
 うなりをあげる電線を
 ひび割れる大地を
 波打つ海を
 押し寄せる海水を

 その時 きみは聞いたか
 人々の悲鳴を
 破壊の音を
 風を切り裂く音を
 地割れの響きを
 とまどいと
 怒りの声を

 悲劇の彼岸の
 それは祝祭だった
 大地の歌と
 ことほぎの踊りだった
 あらゆる命を呑みこみ
 死をもたらし
 それでも祝祭として
 大地は踊った
 なぜならそれは 何万年
 何億年とつづく 地のいとなみなのだ

 人が築いたほんの数千年の文明
 ほんの数百年の構造物
 ほんの数十年の技術
 大地の踊りの前に
 あっけなく崩れさった

 浅はかな技術が 大地を汚し
 世界に永く闇をもたらす
 そんなことすら 大地は気にも止めない
 悠久の時のなかで
 ゆっくりと激しく わずかずつ大きく
 ただ踊りつづけてきた

 私たちが見るのは 神の罰ではない
 私たちが聴くのは 大地の怒りではない
 私たちが見るのは ことほぎの踊り
 私たちが聴くのは 祝祭の歌

 私たちも また
 よろこびながら
 嘆きながら
 怒りながら
 悲しみながら
 ことほぎの踊りをおどり
 祝祭の歌をうたおう
 大地とともにあることを
 悠久の時の流れのなかで
 祝おう

2011年1月25日火曜日

初恋

©2011 by MIZUKI Yuu All rights reserved Authorized by the author

----- 朗読パフォーマンスのためのシナリオ -----

  「初恋」

 聞いてる? そこにいるの? いいの、わかっているの、あなたがそこにいるのは。なにもいわなくていいわ。なにもいわなくていいから、それより私の話を聞いて。お願いだからそこにいて、私の話を聞いて。でもいいの。あなたがそこにいてくれようがくれまいが、どっちみち私はこの話をするんだから。この話をしなければ私はたぶん明日まで耐えられないでしょう。ここにこのままじっとして、このことをだれにも話さないまま明日の朝を迎えるなんて考えられない。聞いてる? いいわ、聞いてくれてるのね。なにから話しましょうか。そう、最近私、「神様なんかいない」という本を読んだの。神様というのは人間が作り出した妄想だっていうのよ。たしかに私も神様なんてそれほど信じてはいなかった。だってそもそも私はクリスチャンでもないし。といって仏教徒というわけでもない。もちろんムスリムでもないし、ゾロアスター教徒でもないわ。両親の葬儀は仏式でやったけれど。でもそれは、両親が亡くなったとき、親戚の人たちがよってたかってうちの先祖代々の浄土真宗のやり方で段取りをつけてしまったからだわ。私はなんにもしなかった。もちろん死んだ両親もなにもしなかった。そもそも死んだ両親が浄土真宗を信仰していたかどうかもあやしいものだわね。仏様の話じゃなくて神様の話だった。いえ、どちらでもおなじことね。ようするに宗教なんて人類の妄想だし、それを利用してうまく立ちまわって世界を支配したりお金をたくさん集めたりする人が何千年もいつづけてきたっていうこと。そういう本を読んだのよ、最近。立派な科学者が書いた本だった。なるほどと思った。でも、こんなことがあると、神様なんて自分の都合のいいときにしか信じない私でも、ひょっとして本当にいるのかもしれないと思うことがあるわ。気まぐれでいたずらな神様がね、私のことをからかっておもしろがってるんじゃないかって思えるのよ。そう思わなきゃ今回のことなんて信じられない。こんなことが自分の身に起こるなんて、何十年も生きてきて想像したこともなかった。何十年。そう、私は何十年も生きてきた。正確にいえば、七十七年生きてきた。この世に生まれ落ちてから、なんてこと、そう、七十七年もたってしまった。もう立派なおばあちゃんだ。だれが見たって白髪の、皺くちゃの、腰の曲がった、シミだらけの、年老いた老婆だ。十七歳の頃は自分が七十七の老婆になるなんて想像もできなかった。そうでしょう? あなただってそうでしょう? 十七歳どころか、五十歳のときだって、七十七の老婆になるなんて考えられなかった。五十のときにはまだ自分が十七歳のような気がしていた。身体だって元気だし、そりゃあ確かに十七歳のときみたいに颯爽と森を駆け抜けたり、波を切って泳いだりはできなくなっていたわ。でも、心は十七歳のときとなにも変わってはいなかった。十七歳のときとおなじように、かぐわしい風に産毛が逆立ったり、満天の星に胸が震えたりした。それはいまだってそう。心のなかはなにも変わっていない。変わったのは身体だけ。髪はハトがついばんだように白くなり、肌は釣りあげられたタコのようにゆるみ、腰は強風にあおられたように曲がってしまった。それは悲しいことだけれど、耐えられないほどの悲しみではない。だって、そんなふうに年老いていくのはなにも私だけではないのだから。私とおなじようにほかの人も、いえ、ほかの人とおなじように私も、身体はゆっくりと年老いていって、やがては耐用年数の限界が来るというわけ。それはすべての人間の運命だから、悲しいことではあるけれど、耐えられないというわけでもない。わかるでしょう? 耐えられないのは、私の身体のなかにはまだ十七歳の心の私がいるのに、身体だけが朽ちていって、十七歳の私もついには居場所がなくなって、身体から追いだされてしまうということ。追い出されてどこに行くのかって? どこにも行く場所なんてない。行くあてなんかない。だから、十七歳の私は消滅するしかない。消えてなくなるしかない。まだ十七歳なのに。ううん、天国なんて信じちゃいない。あの世とか、天国とか、来世とか、生まれ変わりとか、私は信じちゃいない。さっきもいったけれど、神様なんていないと思う。都合のいいときにだけ神様にお祈りして、お祈りが通じたと思ったこともあるけれど、本当は神様なんか信じちゃいなかった。あの世なんてないし、神様もいない。身体が朽ちて滅びれば、私の心もなくなってしまう。それだけ。でも、こんなことがあると、ひょっとして神様はいるのかもしれないと思うのよ。それもとびっきりいたずらな神様がね。ああ、そう、あの人のことをいっているのよ、私は。あの人。彼。坊や。いえ、だめよ、その呼び方はだめ。坊やなんて呼んではだめ。私のいい人。愛する人。私の大事な人。私の命より大切な人。そうよ、私の命より大切なんだわ。私より彼のほうが長く生きることは、よほどのことがないかぎり確実なんだから。なにしろ、彼はまだ二十二なんだから。二十二、二十二。二十二歳。私の二十二歳はどんなだったかしら。もう思い出せないくらい昔のことね。いまから何年前のことかしら。いやだ、五十年以上前のことなのね。五十五年も前のことだわ。ということは、私と彼とは五十五歳離れているということ。私がいまの彼の年齢だったとき、彼はまだこの世に生まれていなかった。私が五十五歳になったとき、彼がやっと生まれてきた。五十五歳年下の人。そんな男性から求婚されるなんて。なんてことかしら。なんということなんでしょう。彼から求婚されたときにはほんとうに驚いたわ。だってそうでしょう。夢かと思った。夢じゃないとわかったら、今度は彼の頭がおかしくなったんじゃないかと思った。それで彼にそういったのよ。頭がおかしくなったんじゃありませんこと? って。そしたら彼は、そうかもしれません、あなたに夢中のあまり頭がおかしくなってしまったんです、っていうのよ。だったら、結婚してなんて冗談はいわないでくださいな。心臓に悪すぎます。いえ、冗談なんかじゃありません。僕は真剣なんです。あなたに夢中なんです。頭がおかしくなったというのはそういう意味です。

 まだあげ初《そ》めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛の
 花ある君と思ひけり
 やさしく白き手をのべて
 林檎をわれにあたえしは
 薄紅《うすくれなゐ》の秋の実に
 人こひ初めしはじめなり
 わがこゝろなきためいきの
 その髪の毛にかゝるとき
 たのしき恋の盃を
 君が情けに酌《く》みしかな
 林檎畠の樹《こ》の下《した》に
 おのづからなる細道は
 誰《た》が踏みそめしかたみとぞ
 問ひたまふこそこいしけれ

 まったくどうかしてる。だれだってそういうと思います。けれど本当なんです。事実なんです。あなたのことを愛しています。真実なんです。僕と結婚してくれなきゃ僕は死んでしまいます。そこで私は彼にいったのよ。あなた、自分のいっていることをちゃんとわかっていらっしゃるの、って。人が聞いたらどう思うかわかっていらっしゃるの? わかってますとも。頭がおかしいんじゃないかっていうに決まってます。でも、本当なんです。あなたに夢中なんです。財産目当てなんじゃないかって思われることもわかってます。でも、そんなもの、僕はいらない。財産なんかが目当てじゃない。ただ僕はあなたと結婚したいだけなんです。彼が財産目当てじゃないことは確かよ。だって私、お金に困っているというわけじゃないけれど、けっしてお金持ちでもないもの。私が持っている財産なんかたいしたことない。親が残してくれた不動産が少し。贅沢さえしなければ不自由なく暮らせるだけの収入はあるわ。でもたいした額じゃない。こうやって老後を不自由なく暮らせるだけの資産があることはありがたいと思ってる。でも、人からうらやまれるほどのものじゃない。年下の男性からねらわれるほどのものじゃない。もし結婚したとして、私が先に死んだら、それはほとんど確かなことだけれど、私の財産を処分したとしてもほとんどまとまったお金になんかならないはず。そんなものが目的で彼が私に求婚するなんてことはありえない。彼が私と結婚して得るものは、彼が失なうものに比べればとてもみみっちいものよ。彼がなにを失うのかって? それはたくさんのものを失うはずよ。この結婚に反対する家族や親族を失うかもしれない。友だちだって失うかもしれない。頭がおかしくなったんだっていわれて、仕事だってうまくいかなくなるかもしれない。なにより、あんなばばあと結婚するなんてといっぱい陰口をいわれて、きっとたくさん名誉を傷つけられるわ。彼が失うものはとても多いと思うのよ。私はもちろん彼にそういったわ。でも彼はきかなかった。どうしても結婚してほしいといってきかなかった。でなければ私の前で死んでしまうともいった。私は折れたわ。そして、あなたも知っているように、そう、明日が私たちの結婚式よ。結婚式。私の初めての結婚式。彼も初めてよ。私たちふたりとも結婚するのは初めてなのよ。そういう意味ではおなじ経験をふたりでするのよ。ただ年がとても離れているだけ。彼は初めての結婚だけれど、これまでに何人かは恋人がいたというわ。そのことを彼は私に正直に話してくれた。でも結婚するまでにはいたらなかった。どの相手とも数ヶ月から数年で別れてしまった。そんなことを話したあとに、彼は私のおそれていた質問をしたわ。あなたはどうなんです? あなたにもさぞかし多くの恋人がいらしたんでしょうね。もしよければ話してくださいませんか。私は答えたわ。そんなこと、あなたに話したくないわ。私のつまらない思い出なんかどうでもいいの。これから作っていくあなたとの時間のほうが大切じゃないこと? 彼は納得してそれ以上質問しようとはしなかったけれど、私は胸が痛かったわ。なぜかというと、私はどうしても彼に話せなかったから。隠し事をしたわけではないけれど、話さなかったのは隠し事をしたことと同じだわ。彼はまだ知らないのよ。私にとって彼が初めての人だということを。いえ、結婚のことじゃないわ。男の人のことよ。私はこれまでひとりも恋人がいなかったのよ。思いを寄せた人はいたわ。そりゃあ私だって好きになった人はいたわ。ひとりやふたりはいたわよ。でも、どの思いもかなわなかった。それから、求愛されたこともあったわ。自慢するみたいだけど、正直にいえば、何人かいたわ。片手の指では足りないくらい。でも、だれの求愛も私は受けなかった。私が好きでもない人の求愛をどうして受け入れられるというの? でも、今度は違う。彼から求婚されたとき、私はたしかに私のほうも彼のことを愛してしまっていたことに気づいたの。そうなの、待ちに待った愛だわ。ただ、その時期があまりに遅すぎただけ。私は苦しいの。あなたにこうやって打ち明けながらも、苦しさに変わりはない。このまま死んでしまいたいくらい苦しい。明日のことを思うと、とくに明日の夜のことを思うと、どうしていいのかわからない。彼は結婚式が終わってふたりきりになったら、私をどうするつもりかしら。まさかこんなおばあちゃんをどうにかしようなんて思ってないと思うけれど、わからない。二十二歳の男の子といっていいような若い男性の考えていることなんて、私には想像もつかない。もし彼が私を求めてきたら、私はいったい……いったい、どうすればいいの。ねえ、どう思います? そのとき私はどうすればいいと思います? あなたにこんなことを聞いても無駄ですわね。あなたの問題ではないんですもの。彼と私の問題なんですから。ときどき、こんなふうに、だれにも答えることができない自分の問題について自問自答していると、私は本当に孤独を感じるの。ひとりぼっちだという気がしてくるわ。もっと若くに愛し合える人に出会って、連れ合いができていればよかったのに。もしかすると子どもも何人かできて、いまみたいにひとりぼっちということはなかったかもしれない。こうやってひとりでいると、私はまるで自分が灯台守にでもなったように感じることがあるわ。孤島にただひとり、灯台を守っている女。この家のまわりに本当はなにもなくて、ただ荒地と岩の上に立っている灯台であって、私はそこでだれの訪問も受けず、どこにも出かけることもなく、ひとりで灯台を守っている。灯台のまわりには、街ではなく海が広がっていて、いまの時期だと寒い北風がただびゅうびゅうと吹きつけてくるだけ。たまに渡り鳥が羽を休めに降りてくることはあるけれど、その鳴き声すらも風にかき消されて灯台の中までは聞こえない。灯台に明かりを入れる時間になってたまにガラス窓の外に目をやれば、遠くを貨物船が通りすぎていくのを見ることもある。でも、その船はただ通りすぎるだけでここへはやってこない。私はだれとも言葉をかわさず、関係も持たず、灯台でひとり暮らしながらゆっくりと時間がすぎて、ゆっくりと自分が年老いていくのを感じているだけ。そんな自分をさびしいと思ったことは何度もある。いまいったように、もっと若いころに恋人ができて結婚し、家族を持っていたらどんなに楽しかったろうと想像したことは何度もある。けれど、最近はさびしいことをあまり嫌だと思わなくなった。たしかにさびしいことはさびしい。でも、結局のところ、人ってなんのために生きているの? 神さまがいるかどうかは知らないけれど、家族がいようが連れ合いがいようが、結局のところ死んでしまえばただの動かない肉のかたまりになってしまうだけ。腐ってしまわないうちに急いで埋めるか焼くかして、残るのはわずかな骨ばかり。なかにいた私は追いだされて消滅するだけ。生まれる前だってそうだったんでしょう? 私がいったいどこからやってきたのか知らないけれど、生まれる前にいた場所に帰っていくというだけのことでしょう。つまり、無に。そうだというのに、恋人がいるとか結婚しているとか、家族がいるとか財産があるとか、いったいどんな関係があるというの。私はひとり。この島の最後の灯台守の女。それでいいと思いはじめていた。寂しいことは寂しいけれど、心は安らかだった。このままこうやって静かに年老いて消えていくことに納得していた。私の仕事はただ、灯台に明かりをともしつづけることだけ。それなのに、あの人が現れてしまった。私の静かな生活は一変した。私の灯台に別の人がやってきた。そして私と結婚したいといいだした。私はそれを受け入れるしかなかった。いままでただの一度もだれかを受け入れたことなんてないのに。私はこれからどうなるんでしょう。彼から求められてなにかを与えるなんてことができるのでしょうか。七十七の私が十七の心をいまだに持っているように、彼だってきっと二十二だけれど十七の心を持っているに違いないと想像したこともある。そしたら私たちおなじことになるでしょう。私たち、年齢と外見こそ違うけれど、おなじ十七歳同士じゃない。だったら楽しくやっていくこともできるかもしれないわ。でも、もし彼が十七の心を持っていないとしたら? 彼はちゃんと年齢相応に二十二歳の青年の心を持っているとしたら? それとも、彼はずっと成長が早い人で、もっとずっと大人になってしまっているのだとしたら? たとえば三十歳に。あるいは四十歳に。それとも五十歳に。もし彼がそうだとしたら、私はとても耐えられない。彼は私を求めるだろうか。それってどんな感じなのだろうか。私はこれまで一度も男の人に触られたことがない。抱かれたことがない。男の人に触られるってどんな感じなのだろうか。それが女にとってとても幸せなことだというのは話には聞くけれど、想像もつかないし、それって本当のことだろうか。映画のなかで男に抱かれる女たちは、皆陶然とした表情を浮かべているけれど、あなたはきっとあんな顔はできない。あなたの顔はきっと苦痛にゆがむだろう。そんなあなたを見て、彼は失望を覚えるだろう。あなたの顔が苦痛にゆがまないとしたら、それはおそらく嘘だろう。あなたの身体は心に反して嘘をまとうことを知っている。あなたはそうやって生きてきたのだから。あなたの心は身体という牢獄のなかに閉じこめられている。でももうすぐそこからも解放されるだろう。なぜならあなたの身体の耐用年数がもうすぐやってきて、電気炊飯器のように壊れて、ガラクタ置き場で朽ち果てていくのだから。そのとき、あなたの心は行き場所を失って消滅する。あなたは明日、私との結婚式を迎える。それは嘘をまとって生きてきたあなたの、最後の、最大の嘘なのかもしれない。あるいはあなたの嘘を最後に追い払うラストチャンスなのかもしれない。私に求められたときあなたはただ自分を私の前に投げだせるだろうか。あなたは抵抗するだろうか。逃げるだろうか。それともすべての嘘を脱ぎすてて私の前に身を横たえるだろうか。しかしそんなことはどうでもいいことだ。私があなたを求めるのは、自分自身の姿をあなたに見るからだ。あなたが生き、うろたえ、あらがい、嘘をまとい、満足したふりをし、善をなしたつもりで笑みを浮かべ、裏切り、裏切られ、疑いながら、いまそこにいる。それはほかならぬ私自身の姿でもある。老いさらばえ、やがて朽ちていく。それが私自身の姿なのだ。私はあなたに私を見る。すべてを見る。だから私はあなたを求める。あなたは私自身なのだ。

2011年1月11日火曜日

自己同一性拡散現象

©2011 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #77 -----

  「自己同一性拡散現象」水城ゆう


 夢を見ていたようだ。
 という書き出しはよくあるが、実際に夢を見ていたのだ。
 しかし、このところ目覚めるといつも感じるある違和感のせいで、夢の内容を一瞬にして忘れてしまった。
 だから最近見た夢をまったく覚えていない。
「あなた、そろそろ起きてくださらない?」
 リビングのほうから妻の声がする。朝食のしたくをしているらしい。その気配で目がさめたのかもしれない。
 いつごろからだろうか、この違和感を覚えるようになったのは。
 なんといえばいいのか、つまり、いま夢から覚醒してベッドから起きあがろうとしている自分は、昨夜眠りについた自分とおなじ人間なのかどうか、確信が持てないのだ。
 たしかに昨夜眠りにつくときには、この身体であった。この左肘のところ。古い傷がある。これは小学生のころ、スキー場でころんでほかのスキー客にぶつかって怪我をしたときの残り傷だ。たしかにこの身体は私の身体だ。
 いや、私の身体にこの傷があるという記憶そのものは、私の記憶なのだろうか。小学生のときにスキー場に行った記憶。そこでスキーを楽しんだ記憶。転倒した記憶。ほかのスキー客にぶつかり、そのスキー板が跳ねかえって私の左肘を直撃した記憶。痛みと出血の記憶。いまでも生々しく脳裏に浮かべることができる、その記憶。それが私の記憶であるという証拠はどこにあるのか。
 夢で見たことを現実の起こったこととして記憶しているのかもしれない。あるいは、肘の傷はスキー場でのことではなく、だれかからスキー場での怪我だと教えこまれたことを自分の記憶と思いこんでいるのかもしれない。
「早くしたくしないと会社に遅れるわよ、あなた」
 妻が寝室をのぞきこんで、いった。
 私は妻の顔を見る。
 たしかに私の妻だ。いや、私の記憶は、この女性の顔や身体つきの特徴を自分の妻であると私に知らせている。
 しかし、この私の記憶はどこから来たのか。
 この記憶を私のものだと確信している私そのものは、どこから来たのか。そもそもこの身体のなかに最初からはいっていたのか。昨日の自分と今朝の自分がおなじ自分であるという証拠はどこにあるのか。
「なによ、じろじろ見たりして。わたしの顔になにかついてる?」
 違和感が強まっている。
 私が見ているのは、たしかに私の妻の顔だ。姿形だ。手のなかには彼女を愛撫するときの感触まである。しかし、それが私の記憶であるという実感がない。
 この感触はだれか別の者の記憶なのではないか。いま見ている妻の顔、いや妻の顔という画像記憶は、私以外の別のだれかの記憶なのではないか。それがなんらかの原因でそっくりそのまま私のなかに植えつけられたのではないか。
 だとしたら、私の本当の記憶はどこに行ったのか。いまごろ別のだれかのなかに私の記憶が植えこまれ、彼もまた違和感をおぼえながら自分の妻の顔を見ているのではないか。私の本来の記憶にある本来の妻の顔はどんな顔なのだ。そしてどんな感触なのだ。
 私はベッドからのろのろと起きあがった。
 私の記憶が妻だと申し立てている女はまだ不審そうな顔つきで私を見ている。
 私は女にむかって手をさしだした。
 女は反射的に私の手を握りかえした。
 私は女の手をつかんで、自分のほうに引きよせた。
「ちょっと、なに、あなた」
 おどろきながらも、その声にはわずかな喜びが含まれていた。私は女の身体を両腕に抱きしめた。
 この感触も、私の記憶のなかにあるものと合致している。たとえだれかの記憶だったとしても。
 突然、私のなかから聞いたこともない言葉が浮かびあがり、私の口から出てきた。
「一切はただ、心のつくりなり」
 だれがそういったのか、私にはわからなかった。私はたぶん、私ではなく、妻もまた妻ではなく、同時に私は私であり、妻は妻であるのだ。すべては私の心のおもむくままにあるということか。
 おだやかな喜びにつつまれていくのを感じた。柔らかな女の身体の感触を楽しみながら、私は時間を忘れていた。