2010年12月16日木曜日

特殊相対性の女(3)

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----- 役者と朗読者のためのシナリオ -----

〔ト書き〕
 役者、ステージに戻ってくる。

「彼はけっして眠らない。
 彼はけっして眠らない」

〔ト書き〕
 長めのピアノ演奏。

 彼女はようやく、階段をのぼりきって、灯台のてっぺんの部屋にたどりつく。

「これが私の部屋。私の居場所」

 粗末な椅子とテーブルと、何年も火をいれていない暖炉と、横になるとギシギシいう木のベッドがある。
 ベッドの上にはランプがさがっている。
 彼女は自分がどこにいるのか知らない。彼女は自分が島の岬の突端の灯台のてっぺんに住んでいると思っている。

「私は今夜も窓辺に出て、あの人のために明かりを灯す」

〔ト書き〕
 朗読者、立ち上がり、ステージ上手に立つ。役者はそれと対極のステージ下手に立つ。お互いに遠く見合う形。
 以下、おなじテキストをふたりで読む。

 私はこの島の最後の灯台守で、あの人の船はこの明かりをめざしてやってくる。こんなちっぽけな蝋燭の明かりでも、あの人はきっと見つけてくれるはず。クリスマスまでには必ずここに来ると約束してくれたんだもの。
 長年、孤独な島の生活を続けているせいで、私の身体はすっかり弱ってしまった。以前は島のまわりを駆けたり、散歩したり、食料品や薪を集めることもできたのに、いまは自分の脚で立つこともできない。筋肉が萎縮する病気――なんていったっけ――それに違いないといったのに、だれも信じてくれなかった。ただ年寄りになっただけだといわれた。ひどい人は鏡をみてごらん、自分がいかに年をとったかよくわかるはずだよ、その醜く皺が寄り集まった顔を自分の目でよく確かめてごらん、なんてことをいう。そもそもおまえは灯台守なんかじゃない。ここは島なんかじゃなく、都会のまんなかの高層マンションの一室だろう……
 私をこまらせるためにそんなでたらめをいう。人はどうしてだれかにそれほどつらくあたることができるんだろう。
 私が灯した蝋燭は、いかにもたよりなげにゆらめく。蝋燭の向こうには、窓をとおして果てしない世界が広がっている。私には見えないけれど、意味もなく増えた大勢の人々が、意味もなく暮らし、あくせく働き、喜びあい、いがみあい、ののしりあい、抱き合い、そして生まれては死んでいく。私もそのひとりには違いなくて、そんななかにたったひとりで灯台を守っている私の姿は、まるでいまここに灯されたたよりない蝋燭の明かりそっくりだ。
 でも、世界がいかに大きくて激しくてつらくても、私には自由がある。
 島から、いや、ともするとこの灯台から一歩も出ることのできない人間に自由なんてあるのかって? 旅することも、ディナーに行くことも、メリーゴーラウンドに乗ることも、若返ることも走ることも歌うこともできないこの私に、自由があるのかって?
 でもだれも知らない。私が毎夜、こうやって蝋燭に火を灯して灯台を守りながら自由に旅していることを。本当に足を痛めて旅に出かけることも、想像だけを見知らぬ土地にめぐらすことも、私にとってはもはやおなじことだ。私は毎夜、だれも行ったことのない場所に行き、だれも見たことのない光景を見、言葉も通じない人々と語りあっては笑い、食べたこともないおいしい料理をふるまわれ、そして聞いたこともないメロディを歌っている。そのことはだれも知らない。
 いや、あの人だけは知っているはず。クリスマスまでには必ずここに私を迎えに来てくれると約束してくれたあの人。あの人が来たら、私のすべてを聞いてもらいたい。だれも信じてくれなかった、だれも聞こうとしてくれなかった私の話。
 彼が来て、私の話を聞いてくれたとき、そうして初めて私の自由は完全なものになる。
 私は彼といっしょにここから飛びたつだろう。鳥になって彼とともに大空へと飛んでいくだろう。
 私は灯台守。この島の、最後の灯台守。
 今夜も窓辺に出て、あの人のために明かりを灯す。

〔ト書き〕
 以下、朗読。
 役者はその場を離れ、ふたたび客席をぐるりとまわってくる。その間にキッチンのほうで生卵をひとつ受け取ってくる。

 彼女は物音で目がさめる。最初はなんの音なのかわからなかった。ラジオのダイアルが合わないときのようなザアッというノイズのような音。
 ベッドのなかで目をあけ、音の正体をたしかめようとする。右側の壁が四角くぼんやりと白くなっている。四角いのは窓枠で、夜明けが近くて窓の外が白んでいるのだとわかる。そして音は雨の音なのだった。あまり長く降っていなかったので、雨がどんな音を立てるのか忘れてしまうところだった。
 もう九月だというのに、からっからに干上がったフライパンの上みたいな、流しこんだ油すら焼きあがってしまったような猛暑がつづいてた。ときどき雲が集まってきて、空が暗くなり、そして真っ黒になり、手をのばせば届きそうなほどの低いところまで雲のかたまりが降りてきても、はぐらかすみたいに雨は降ってこなくて、砂漠に放り出された裸足の女のように手をむなしく差しのばしたりしてみる日々がつづいてた。それなのに、いま、こうやってあっけなくザアッとやってきた。
 風雨にあおられたカーテンがバサバサと揺れた。いけない、雨が吹きこんでる。
 彼女はいそいでベッドから降りると、裸足のまま窓際に駆け寄る。吹きこんだ雨で窓枠と床がびしょ濡れになっていた。それでも彼女はひさしぶりの雨に喜びを感じた。
 海はまだ薄暗いのと雨のせいで見えない。昨夜もあの人は来なかったけれど、彼女は信じている。クリスマスまでにはきっと帰ってきてくれるはず。
 この雨も彼の頭上に降り、海や乾いた大地をおおい、世界を包みこんで降っている。
 そうだ、と彼女は思いだす。鶏小屋に行って、玉子を取ってこなければ。
 彼女は衣服を着替え、白いスニーカーをはいて部屋を出る。

〔ト書き〕
 役者が戻ってきて、ステージ中央に立つ。
 生卵を捧げ持って客席に見せたあと、ゆっくりと落とす。

(おわり)

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