2010年12月14日火曜日

特殊相対性の女(1)

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----- 役者と朗読者のためのシナリオ -----

〔ト書き/ここは読まない〕
 舞台上の装置は、下手側に置かれたグランドピアノと、中央前方に置かれた椅子のみ。
 後方の壁は映像投影用の壁面を兼ねる。そこへプロジェクターでスティル映像が投影される。朗読者と役者は投影光とときに重なることがあるが、かまわない。
 映像は客入れのときから投影されているが、舞台と客席の明かりであまり目立たない。

〔ト書き〕
 朗読とピアノ、板付き。
 客電、落とす。
 舞台照明、落とす。映像が壁面に浮び上がる。その前に朗読が座っている。
 役者、上手より舞台へ。
 ピアノ演奏。
 ピアノが終わったら、役者、上手側で。

「もう九月だというのに、からっからに干上がったフライパンの上みたいな、流しこんだ油すら焼きあがってしまったような猛暑がつづいてた。ときどき雲が集まってきて、空が暗くなり、そして真っ黒になり、手をのばせば届きそうなほどの低いところまで雲のかたまりが降りてきても、はぐらかすみたいに雨は降ってこなくて、砂漠に放り出された裸足の女のように手をむなしく差しのばしたりしてみる日々がつづいてた。それなのに、今朝。そう、今朝。まだ日も出ない時間。あっけなくザアッとやってきて、開けっ放しの窓際がびしょぬれになってしまった。でもうれしくて、朝の鶏の餌やりに出たとき、買ってもらったばかりの真っ白なスニーカーを泥のあぜ道でよごしてしまった。
 この汚れはどうやったってもう取れないって知ってる。
 泣きたい気分」

〔ト書き〕
 役者、下手側へ。
 役者がひとりで女を演じ、朗読がト書きの部分を読む。舞台上には役者と朗読とピアニストがいるけれど、朗読はあたかも舞台の外側にいるみたいにテキストを読む。

「歯をくいしばる。治療をほったらかしにしてある奥歯が痛む。母にもらった歯の治療代は、全部たこ焼きを買うのに使ってしまった。自分が食べて、それからクラスメートにもふるまった。その日一日、いじめられずにすんだ。
「風邪じゃないんだから。虫歯は自然に治ったりはしないんだからね、絶対に」
 母がいう。そのとおりだろう。でも、知ったことじゃない。まだ十四でしかない彼女には、手のつけようがなくなった虫歯を抱えている自分の姿なんて、想像もつかない。
 知るもんか」

 灯台が立っている岩場に打ちあたる波しぶきは、短かった夏のきらめきをすでに失い、これからすばやくやってくる冬の陰をもうちらつかせはじめている。のぞきこめば、海中の岩場は深く切れこんで、暗く冷たい世界への魅惑をたたえている。彼女がいつからそこに住んでいるのかは知らない。今朝も彼女はいつものように灯台の頑丈な木戸を押しあけ、外に出てくると、木戸が風でバタンと閉じてしまわないように片手で押さえてゆっくりと閉めながら、もう一方の手で帽子を押さえる。木戸を閉めると、その手でスカートの裾を押さえる。岩場の上に立っている灯台からは頼りない小道が灌木の林のなかへとつづいている。明け方前にやってきた激しい通り雨で、小道はぬかるんでいる。彼女は水たまりを避けながら道を急ぎ、灌木の林を抜けて畑へと出る。
 いまは日はのぼっているが、海面をおおったもやをすかしてぼんやりと直視できるほどの明るさしかない。

「意地になって歯を食いしばりながら、制服のスカートをめくりあげる。そうしなければ、鶏たちにスカートを汚される。鶏の世話を終えてから制服に着がえればいいのはわかっている。でも、そうすると学校に遅刻する。遅刻常習者のリストにあげられている彼女は、もうこれ以上遅刻するわけにはいかない。それならば早起きすればいいのに。どうしても早起きできない。いつもギリギリまで布団にしがみついている。今日もそうだ。明け方見た、彼の夢のせいだ。夢のなかであこがれの彼は、今日もまたあのいじめっ子の女と手をつないで歩いていた。
 彼の手。
 死ね、女」

 畑は灌木の林と、赤松林とに囲まれたちっぽけな空き地にある。松林は大昔に植えられたもので、彼女がここにやってきたときにはすでに荒れ放題だった。畑も手がつけられないほど荒れていたが、それでも一本、二本と畝を作り、作物を植え、草を刈るうちに、いまでは少しは畑らしくなっていた。畝はいま、五本ならんでいて、あと二、三本も収穫すれば終わりになるとうもろこしと、収穫が終わったゴーヤの蔓の固まりが、縮れ毛の女の雨上がりの長い髪のようになってわだかまっている。モロッコ豆の蔓もはびこっているが、これはまだまだ収穫できる。
 畝の端には金網で覆われた鶏小屋がある。彼女が近づいていくと、餌の予感に鶏たちがものすごく興奮して鳴き声をあげる。粗末な扉をぎしぎしあけて小屋にくぐり入ると、鶏たちはところかまわず羽ばたきしながら走りまわる。

「死ね、女」

 餌箱の近くにいた一匹をけとばしてから、彼女は飼料の袋の中身をさかさまにぶちまけた。粉が舞いあがって、制服の上着を白くよごす。
 いそいでかかえてきたカゴに今朝の玉子を拾いあつめていく。
 いくつか玉子を集めた彼女は、鶏小屋を出てようやく一息つく。
 木立の上に輪郭のぼやけた太陽が見える。その前をウミネコがせわしなく羽ばたきながら横切っていく。

「手にまだ粉がついていた。余計に上着が白くよごれてしまった。なにかをしくじって、その失敗を取りかえそうとして余計に傷口を広げてしまう。私の人生はその連続だ。いままでもそうだったし、これからもきっとそうなんだろう」

 季節はすでに秋に差しかかっているが、長くつづいた強い日射しのせいで、盛りをすぎた畑の作物も、畝にそって伸び放題になっている雑草も、葉をカサカサと枯れさせてうなだれている。やがて作物も雑草も茶色く枯れはてていく。だから雑草がはびこってももう抜く気はない。夏前はあれほど抜いても抜いても生えてくる雑草に手を焼いていたというのに。
 彼女は畝のあいだを通って灯台のほうへと戻っていく。そしてふと、彼のことをかんがえる。クリスマスまでには必ず戻ってくると約束して去っていった彼。
 彼が去っていった方角を、彼女はながめて目をほそめる。ウミネコはもう見えなかった。そのかわり、はるかかなたを漁船が一隻、ぽつんと孤独に横切っていくのが見える。それがどんな船であろうと、ちっぽけな漁船であろうと貨物船であろうと、巨大なタンカーであろうと、いつも彼のことを思いだしてしまう。あの漁船はどこへ行くのだろうか。これから漁に出るのだろうか。それとも漁からもどってきたところなのだろうか。何人乗っているのだろうか。船員は若いのだろうか、あるいは歳を取っているのだろうか。
 彼が去ってから何年も、何十年もたったような気がする。クリスマスまでには必ず戻るといって、自分の船に乗り、南の水平線のかなたへと消えていった彼。いまごろどこでどうしているだろうか。

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