2010年2月26日金曜日

捨てる

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #55 -----

  「捨てる」 水城雄


 幻想と無意味な希望を捨て
 現実と真実を見据えて生きる
 自らの能力を過信せず
 しかし力のおよぶ限り尽くす
 自らの才を過大評価せず
 孤独に立ちむかうことを怖れない

 捨てよう
 どうせ読まない本を捨てよう
 古いマニュアルを捨てよう
 欠けた茶碗を捨てよう
 黴びた梅干を捨てよう
 二年前のドレッシングを捨てよう
 縮んだセーターを捨てよう
 たまった雑誌と古新聞を捨てよう
 鳴らないラジオを捨てよう
 乗れない自転車を捨てよう
 乾いた植木鉢を捨てよう
 破れた靴を捨てよう
 聴かないCDを捨てよう
 なんにつなぐかわからないACアダプターを捨てよう
 1ページしか書いていないノートを捨てよう
 片方しかない靴下を捨てよう
 10年前の年賀状を捨てよう
 古い恋人の写真を捨てよう
 日記を捨てよう
 しがらみを捨てよう
 プライドを捨てよう
 思い出を捨てよう
 過信を捨てよう
 欲を捨てよう
 名誉を捨てよう
 虚栄を捨てよう
 過去を捨てよう
 未来を捨てよう
 希望を捨てよう
 絶望を捨てよう

 それでも
 それはそこにいる
 どうしようもなく自分はそこにある

2010年2月25日木曜日

単独行

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- Urban Cruising #2 -----

  「単独行」 水城雄


 山道にさしかかると、視界が緑におおわれた。
 エアコンをとめ、車の窓を開放した。
 草いきれ、木々の香り、谷川の音。そういったものがドッと車内に流れこんできて、思わず微笑してしまう。
 スピードを落とし、緑の空気を楽しみながら、ゆったりとハンドルを切る。
 ぼくは部長に休戦宣言をして、ここにやってきた。
 いや、ことによると、あれは部長にとって、ぼくからの宣戦布告だったのかもしれない。
 まあいい、そんなことは。いまぼくはひとりでここにやってきた。
 それでいい。
 一か月前の日曜日、すでにロケーションはすませてある。テントを張れそうな場所も見つけてある。
 ほんとうは、自転車か徒歩でここにやってきたかったのだ。が、もらった休暇が三日では、ぜいたくはいえない。それでもギリギリの線だ、と部長はいったものだ。いまの時期をなんだと考えているんだ。
 山道を走りはじめて約二十分、ぼくは目的の場所についた。
 いちおう舗装は完備しているが、道はほそくまがりくねっている。道の右側には、谷川が流れている。
 ぼくが車をとめたところは、ちいさなダムがあった。ダムで川がせきとめられ、上流は細長い湖になっている。雨があがって数日たっているため、水のにごりはとれていた。しかし、あたりには雑草がたくましく生い茂っている。
 ぼくは車から荷物を下ろすと、それを背にかつぎあげ、ダムを渡った。
 ダムの向こう側に、道路からはまったく見えず、それでいて湖の水面をすっかり見わたせる絶好の場所があるのを、すでに確認してある。
 そこでこれから三日間、すごすのだ。
 テントの中で。
 ひとりのぜいたくな時をすごす。

 二日めの朝、ぼくは川をさかのぼった。
 手に一本の竿を持って。
 大きな岩の上に腰をおろし、谷川の音を聞きながら、仕掛けを作る。
 川にはいり、岩を返して岩虫をさがす。
 見つけた岩虫は、口にくわえた笹の葉に貼りつけておく。そうすればいつでも餌が必要なときに、針にかけることができる。
 岩虫を針にとおし、流れがうずを巻いている深みにむかって、糸を投げこむ。
 糸を流しながら、岩かげに身体をひそませる。
 そうやって魚と知恵をくらべあっていると、日常のさまざまな思いが肩から抜けおち、身体が軽くなってくるのを感じる。
 ぼくは部長のことを考えた。
 この三日間の休暇を取るのに、彼とはひと悶着あった。なぜこの時期に休暇なんか、というわけだ。おまえ、いま会社がどういう状態なのかわかってるのか。
 わかっているとも。しかし、部長に、部下の営業成績しか頭にないような男に、ぼくのなにがわかる?
 まあいい。
 いまはぼくの時だ。
 日常からときはなたれた、ぼくの時間だ。
 会社も家庭も忘れ、いまは魚との知恵くらべに、うつつを抜かすのだ。
 いきなりラインが引きこまれ、棹が大きくしなった。グイと棹を立てる。針が魚の上顎にしっかり食いこむ感触が伝わってきた。
 魚め。勝負あったな。
 いや、まだわからないとも。勝負ははじまったばかりだ。
 いつの間にか、ぼくの身体の中に、漁師がすべりこんでいる。
 たけりたったやつ、大きなイワナが、銀色の身体をひらめかせて、水面を走った。

 星だ。
 星々だ。
 何年ぶりだろう、星を見るのは。
 確かに、仕事帰りに夜空に、星のまたたきを見ることはある。が、あれは星を見るとはいえない。仕事帰りに見る夜空は、狭く、暗い。屋根やアンテナや電柱やビルディングにかこまれ、ひどく視界が狭い。
 そして、暗い。
 いや、逆に明るいというべきか。
 つまり、街頭や家々の明かりが明るくて、星の光が暗いのだ。
 いまこうやって夜空をながめていると、街の中では見えないじつに多くの星が見える。
 それを見つめていると、すうーっと立ちくらみを起こしそうな感覚に引きこまれる。自分がまさに、この大地、地球という星の表面にへばりつき、星々の空間にただよっているのだ、という感覚。
 うん。この感覚。あいつにも味わせてたい。もうすぐ五歳になろうという、ぼくの息子。
 よし。今度はやつとふたりでここにやってこよう。
 ぼくがやつに伝えられることなど、たかが知れているが、その星々を見せるだけで、やつはぼくのなにかを理解するはずだ。ぼくの息子なのだから。
 明日はまた、家庭にもどる。
 いまのこの心を、そのまま持って帰れることができるだろうか。もしそれが可能なら、すごい土産になるぞ。そして語ってやろう、やつに。父がいかにしてテントをはり、いかにして火をおこし、いかにして魚と闘ったかを。
 そしてその次の日は、また仕事という戦場に出ていくのだ。
 部長め。ぼくを待ちかまえていることだろう。
 上等だ。やってやろうじゃないか。
 うむ。彼にもきっと、息子がいる。
 彼も彼なりに戦っているのだ。
 よし。彼に応えてやろうじゃないか。
 ぼくはテントにもぐりこむと、目をとじた。
 夜がぼくをすっぽりと、つつみこんだ。

2010年2月24日水曜日

A Flying Bird in the Dark

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #42 -----

  「A Flying Bird in the Dark」 水城雄


 鳥になりたいと思う。
 重力から解きはなたれ、ゴツゴツした地表を離れ、上昇気流に身をまかせてどこまでも飛んでみたいと思う。
 人はわたしのことを、幸せな女だという。たしかにそのとおりかもしれない。住む家にも食べるものにも不自由のない生活。家のローンはあるけれど、明日のお金の心配をする必要はない。毎月、きちんきちんと一定額以上のお金がはいってくる。
 結婚三年め。やさしくて、働き者の夫がいる。子どもがまだできないことが唯一の心配だけれど、それがなんだというのだろう。世間には子どものいない夫婦なんていくらでもいるし、いまのこの世に子どもを作ることのほうが、その子の将来をかんがえれば不安かもしれない。
 でも、わたしのこの、牢獄に閉じこめられているような気持ちは、いったいなんなのだろうか。わたしがわたしでないような、自由がなにもないような気持ちになるのはなぜなんだろうか。
 今日もわたしは朝六時に起きる。目覚まし時計の音で。遠い距離を通勤する夫に朝食を作るために。
 コーヒーと野菜ジュースとパンとベーコンエッグを作って、夫を起こす。新聞を読みながら、テレビニュースを見ながらわたしの作った朝食を食べた夫は、スーツに着替えて会社に出かける。わたしは玄関で夫にキスして送りだす。ときにはキスなんかしたくないときもある。でも、わたしはわたしの気持ちをいつわって、形だけのいつわりのキスを夫にする。それで夫が安心することを知っているから。
 いや、それで夫が本当に安心するわけでないことはわかっている。夫はただ、いつもがいつもであることを確認して、心の奥に不安をかかえながらもそれを無視する材料を得て家をあとにするだけ。それだけ。
 洗濯物を全自動の機械にほうりこみ、掃除をしたあと、テレビニュースを見ていると、アラブの女性が出てきた。チャドルで全身、頭から足まですっぽりと隠している。そして彼女は怒っている。アメリカがアラブ諸国の神を冒涜することに。信仰の自由を侵すことに。でも、彼女自身はアラブの宗教に彼女自身の自由を束縛されていはしないのか。
 わたしは宗教に自由を束縛されていないけれど、目に見えないものにがんじがらめにされているような気がする。自由に寝坊もできなければ、今日はキスしたくないといえないし、子どもなんか生みたくないと宣言することもできない。着る服はその日の気分で選んでいるけれど、結局はスカートの丈とか、流行の色とか、カジュアルすぎないかとか、なにかに束縛されているということではニュースに出ていたアラブ女性となにも変わらない。
 思いきり寝坊して、夫にキスもしなければ、ミニスカートで街を歩いて男たちの視線を集めてみたいというのは、結局はわたしのなかの妄想――印刷されたコミックのような想像の世界でしかない。
 洗濯物を干していると、ケータイが鳴った。
 結婚前に付き合っていたカレ。ケータイのメモリからなぜか消せずにいた。三年ぶり。
「元気?」
「うん」
「どう? ひさしぶりに会わない?」
 カレはまだひとりだと聞いている。会えばどうなるだろう。けっして幸福ではなかったけれど、幸福だったこともあるカレとのみじかい日々。
 あのとき、わたしには、まだ羽があったように思う。いまはもうその羽はない。
 いま、もう一度、羽を得たいと思う。カレとどうとかいうんじゃない。だれにもなにもいわれず、大地を離れ、自分の気持ちのおもむくままに空を飛ぶ。
 青空はもう無理だろう。せめて夜の、まっ暗な空のなかを、羽をひろげて気のむくままに飛ぶ自由を、わたしは渇望している。
 背をそらし、羽をひろげて、思いきり声をあげてみたい。

2010年2月23日火曜日

Airplane

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #41 -----

  「Airplane」 水城雄


 飛行機が乱気流に突っこんだ

 機体がゆれる
 上下にゆれる
 左右にゆれる
 ガタガタゆれる
 機内はとたんにアビキョーカン

 子どもがさけぶ
 女がさけぶ
 男がうめく
 みんな青ざめる

 客室乗務員がシートベルトの金具を握りしめる
 だれもが最悪の事態を予想する
 ばあちゃんがホトケの名をとなえる
 ぼくは安全のしおりをいまさらながらに確認する

 ぼくは頭のなかで遺書を書く
 お父さん お母さん 先立つ不幸をお許しください
 いや お父さんはおととし死んでもういないんだった
 生命保険にはいっておくんだった
 ああ しかし 保険金はだれが受けとるんだろう

 きみの顔が浮かぶ
 ごめんよ まっ先に思い浮かべなくて
 でも きみとはまだケッコンもしていないし
 セックスだってまだ六回くらいしかしていない
 そのうちの五回はぼくが早く終わっちゃったし
 残りの一回は宅急便のお望みの人に邪魔された

 ぼくが死んじゃったら きみはどんな顔をするんだろう
 悲しむだろうか
 まさか喜ぶなんてことはないよね
 いや わかんないよね
 きみはもう ぼくのことを嫌いかもしれないからね
 なにしろ早いからね

 でも ぼくはきみのことが好きだ
 それははっきりしてる
 こんなにきみのことを好きなぼくが
 理不尽な事故で死んじゃうなんて
 かわいそうすぎる
 て思わない?

 世の中 ぼくのような人がきっといっぱいいるにちがいない
 突然に生きていることを遮断されてしまう人たち
 自分の意思とき関係なしに 生きる道を奪われる人たち

 これまでそのことに気づかなかったぼくを
 かみさまはゆるしてくれるだろうか
 いまさら遅いよね
 死ぬ前にならなきゃこんなことにも気づかないおろかなぼく
 でも 遅かれ早かれ 人は死ぬ
 ぼくも死ぬ きみも死ぬ
 お父さんはもう死んだし お母さんも死ぬ
 魚屋のおばちゃんも ビデオショップのにいちゃんも死ぬ
 総理大臣も天皇陛下も死ぬ
 ブッシュもビンラディンも死ぬ
 人間 死亡率 百パーセント おめでとう!

 遺書にはなんて書けばいい?
 と思っているうちに 飛行機はうそのように静かになる
 乱気流を無事に脱出する
 雲のしたにおりると そこには真っ青な海が見える
 おもちゃのようにちいさな船が 白い航跡を描いている

 世はこともなし
 平穏無事そのもの
 人々はすぐに恐怖をわすれて
 平和のなかにもどっていく
 着陸のとき ちょっとだけ遺書のことを思いだすけれど
 また忘れて
 ぼくもぞろぞろ 人ゴミのなかにもどっていく

2010年2月22日月曜日

左義長

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- Urban Cruising #29 -----

  「左義長」 水城雄


 和太鼓の音だ。
 仕事からもどり、玄関の戸をあけようとしたとき、それに気づいた。
 そういえば、数日前から街の通りには、短冊が飾られていたっけ。今日は左義長祭だ。

 はずしてしまっておいた正月の注連飾りを、物置から出してきた。
 猫がものめずらしそうな顔で寄ってくる。
 荒縄のにおいをかぎ、ちょいと手を出してさわる。
「だめよ。これから燃やしてもらいに行くんだから」
 と妻がたしなめている。
 猫を追いはらい、子どもと三人で玄関を出た。今度ははっきりと、和太鼓の音が耳にはいってきた。笛と三味線の音も聞こえるようだ。
「傘、いるかしら」
 午後からやんでいた雪が、また降りはじめているようだ。毎年、この左義長の時期になると、なぜか一段と冷えこみが増し、雪になることが多い。
 ジャンパーのフードを息子の頭にかぶせてやり、わたしたちは傘を開いた。
 車の轍のあとにそって歩きはじめると、サワサワと傘に雪が降りつもる音が聞こえた。
 街筋に出ると、雪が舞う中に短冊がひらめいているのが見えた。
 赤、黄、緑の組み合わせ。
 赤、白、青の組み合わせ。
 三色の短冊が、通りの上に張りめぐらされた縄から無数にぶらさがり、雪と風にひらめいている。
 息子がどこからか、とけた雪でびしょびしょになった短冊を拾ってきた。
「捨てなさい、そんなもの」
 妻が即座に命令する。息子は残念そうにそれを道ばたに投げすてた。
 最初の櫓が見えてきた。

 最初の櫓の手前で、注連飾りを預けた。
 竹で組んだ枠の中に、すでにたくさんの注連飾りが積みかさねられている。明日の夜、河川敷きでおこなわれるどんど焼きで、焼いてもらうのだ。
 櫓のまわりにはもう見物の人の輪ができていた。
 赤ん坊を抱いた父親と若い母親、ニコニコしたおばあちゃん、まっかな頬をした小学生、若いふたりづれ。
 櫓の上では、中年の女性が弾く三味線と歌に合わせて、女物の長襦袢の尻をまくり、頬っかむりをした男がふたり、おおげさな動作で和太鼓をたたいていた。三味線の横では、別の男が笛を吹いている。豆しぼりに法被を着た子どもも、櫓の上にあがっている。どうやら、はやく交代してもらいたくて、うずうずしているらしい。
「ねえ、これおもしろいわね」
 と妻が櫓の横にぶらさげられた行灯を指さした。
 行灯に張られた和紙には、川柳が書かれている。それらをひとつひとつ読んでいくのも、左義長祭の楽しみのひとつでもあるのだ。
 妻が指さした行灯には、川柳のほかに猫の寝姿も描かれていた。寝たふりしているが、猫は全部知っているんだぞ、という意味の、ちょっと色っぽい川柳だった。
「去年はたいへんだったわねえ」
 私と同じことを、妻も思いだしたようだった。
 そう、去年の左義長の日、ちょうどうちの猫がお産したのだった。
 櫓の上で待機していた子どもに、ようやく順番が回ってきたらしい。ちょっと緊張した笑顔で立ちあがると、大人顔負けの動作で太鼓をたたきはじめた。

 うまい具合に雪がやんでくれたようだ。
 次の櫓へと移動する途中、わたしたちは傘をすぼめた。
 街筋は車両通行禁止だ。かなりの人が通りを埋めつくすようにして、歩いている。半分以上が市外からやってきた人たちなんだろう。市の観光協会や商工会議所は、市の活性化をうたって祭の観光宣伝にやっきとなっている。その効果があらわれているのだろう。
 私が子どもの頃には、こんなに人は多くなかったようにおぼえている。
「いまごろどうしているかなあ、あの子たち」
 妻はまだ、去年生まれた子猫の話をつづけている。
 息子もまだちいさかったっけ、去年は。たしか背中におぶっていた記憶がある。そうやって左義長をひととおり見物して家にもどってみると、猫のタマが四匹の子猫を産んでいたのだ。
 火の気のない家の中の、それでもわずかにぬくもりが残っているらしい炬燵の下で、タマは途方にくれたような顔で子猫たちをながめていた。甘やかされて育った家猫だからだろうか、子猫の世話を自分ではできないようだった。
 あやうく冷たくなりかけた子猫をタマから取りあげると、わたしたちはあわててうぶ湯を使わせてやった。大騒ぎをしてヘソのおと胎盤の始末をしてやり、寝床の用意をして子猫とタマをそこにいれてやったものだ。
 そんなことを思いだしながら、ぼんやり櫓を見上げていると、人波に押されて息子の足を踏みつけそうになった。
 ずいぶんひさしぶりに彼をだっこしてやりながら、私は思った。
 この子が大人になったときには、祭はどのようになっているのだろうか。

2010年2月20日土曜日

An Octpus

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #38 -----

  「An Octpus」 水城雄


「釣りたいんだけど、乗せてくれる舟はないかな」
 英語で話しかけると、見るからに漁師風のまっ黒に日焼けした男は、無表情に彼を見返した。
 通じないのか? それもやむをえない。イタリア語ですら通じないかもしれない。なにしろここはマルタ島なのだから。
 それにしても、なぜおれはこんなところに?
 あきらめて、英語が通じそうなところはないかとその場を離れかけると、思いがけず漁師が返事をした。
「わしの舟でよければ、乗りな」
 そこそこの英語だ。強いなまりはあるが、意味はわかる。
「あんたの舟って?」
「そら、あそこに」
 指さした先には、地元でルッツと呼ばれている派手な模様がペイントされた木造の小舟が見えた。このあたりの漁船だ。
「なにが釣れる?」
「なんだって。いまの時期だと蛸がいい」
「タコね……」
「あんた、日本人だろう。タコを食うだろうが。もっとも、知られていないことだが、わしらマルタ人もタコを食う。ちなみに、ギリシアの連中もな」
 まあいい。釣果が目的ではない。ただなんとなく釣りをしてみたくなっただけだ。
 学生時代、マルタで生まれたという同級生の女がいた。父親の仕事のために一家でそこに住んでいた。いい島だと彼女はいっていた。
 学生のときに立ちあげた会社がたまたまうまくいき、若い起業家としてマスコミからもてはやされた。実際、業績ものび、株式上場するまでに急成長した。株によって多額の資金を手に入れ、結婚もして順風満帆に思われた矢先、インサイダー取引疑惑で内偵が進められているという情報がはいった。さらに、写真週刊誌にはアイドルタレントとの火遊びをすっぱ抜かれた。実際、少しのぼせあがっていたところはあると、自分でも自覚している。
 ほとぼりをさますべく、ひとり、見知らぬ島に逃げてきた。妻にも行き先は伝えていない。来てみれば、乾いた砂ぼこりと、白い土壁ばかりの土地だ。なにもない。ただ、海と空は見たこともないほど美しかった。
 丘の上のホテルの窓から、ちっぽけな漁船が浮かぶ湾をながめていて、唐突に「釣りでもするか」と思いたった。日本にもどれば、ほとぼりがさめるどころか、検察が手ぐすねひいて待っているのかもしれない。なぜか知らないけれど、いま、美しい海にわが身を浮かべてみたくなった。置きざりにしてきた妻も、まだ子どもといってもいいようなアイドルタレントのことも、いまはどうでもいい。
 海に出ると景色が変わった。赤茶けた丘と、そこに建ちならぶ白い壁の家。海側から見るマルタの街は、ジオラマのようだ。
 釣糸をたらしてしばらくすると、手ごたえがあった。ぐねぐねと抵抗する感触を力ずくで引張りあげると、いきなり墨を引っかけられた。
 漁師が遠慮のない笑い声を彼に浴びせかける。顔の墨を指さして、ゲラゲラ笑っている。
「いいさ、そうやって笑ってろ」
 どうせおれはそういう人間なんだ。これまでだって、けっこううまくやってきたように見えて、じつは無理してた。かっこばっかりつけてた。ほんとは笑われて、こきおろされて、馬鹿にされるのがちょうどいい男なんだ。かんがえてみれば、ガキのころからいつも馬鹿にされていた。だから見返そうと思って無理を重ねてきた。
 こちらの日本語に対抗したのか、漁師が笑いながらマルタ語でなにかいう。もちろんなにをいっているのかわからない。
 墨を引っかけた蛸は、ルッツの船底でぐにゃぐにゃと足をよじらせてあがいている。自分そっくりだと思った。
 彼は着ているものを全部脱いだ。船べりに足をかけ、頭から思いきり海に飛びこんだ。
 浮かびあがると、気でも狂ったのかという顔でこちらを見下ろしている漁師の顔があった。それを見て、彼は笑いだした。いましがた笑われた分まで笑い返してやった。
 素っ裸のまま海面に仰向けになる。
 漁師がなにかいっている。今度は英語かもしれない。波の音に消されて聞こえない。
 真っ青な空と地中海の雲が、彼の網膜に焼きつけられる。
 よし、日本に帰るか。帰ってまたひとあがきするか、と彼は思う。

2010年2月18日木曜日

Soon

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- Jazz Story #3 -----

  「Soon」 水城雄


 ベンチに腰をおろし、見上げると、桜はすっかり葉ばかりになっている。
 そうか、もうそんな季節なのか。
 彼は上着を脱ぎ、背もたれにかけた。
 ふうっとため息をつく。
 向かい側のベンチでは、黒いスーツを着た女子大生が、ひとりでポツンとサンドイッチを食べている。就職活動中なのだろう。
 彼の会社にも、たくさんの大学生が訪問している。みな、懸命で、熱心で、そして若い。おれにもそのような時があったのだろう。もう20年も前のことだ。
まるで白亜紀の記憶のように思いだすこともできないが。
 そしていま、ここには、仕事で疲れ、くたびれた中年の男がひとり、ぼんやりとすわっている。こんな新緑の季節だというのに。リクルート活動中の大学生たちも、いずれこのおれのように現実に直面し、くたびれ、すり切れてしまうのだろうか。
 売上をのばせ、ただ飯を食うな、さもなきゃリストラだ。そんなことをいわれても、シュレッダーなんてそうそう売れるもんじゃない。朝はもう三件も回った。午後には四件回る予定だ。
 人生は消耗という名の階段を果てしなくのぼりつづけるもののような気がする。
 そういえば、さっき、コンビニで買った雑誌のことを忘れていた。弁当を買おうと思ったのだが、気が変わったのだ。昼飯のかわりに、雑誌。
 十何年ぶりかで買った音楽雑誌。
 ライブ情報のページを開いてみた。
 と、彼のベンチに近づいてきたふたりのOLから問いかけられた。
「ここ、あいてます?」
「どうぞ。あいてるよ」
 こたえながら見上げると、木漏れ日がまぶしかった。

 ライブ情報のページには、知らないミュージシャンの名前がたくさんならんでいた。が、彼が若いころから活躍している名前も、ちらほらとある。
 まだやってんだ、あいつ。
 若い頃、ライブハウスで聴いたあの演奏。いまはどんな音を出しているのだろうか。彼より少し上の年齢のはずなのだ。
「これ、よかったらどうぞ」
 ふいに横から声をかけられて、彼はびっくりした。
 見ると、横にすわったOLたちが、こちらに顔を向けている。その手には、おにぎりの詰まった箱。
「作りすぎちゃったんです。よかったら食べてくれません?」
「喜んで」
「お茶もよければ」
「ありがとう」
 彼は握り飯をひとつ取り、そして紙コップを受け取った。
 水筒からお茶を注いでくれたOLは、二十四、五歳だろうか。
「おいしいですね」
「よかった。なにを読んでるんですか?」
「ジャズの雑誌。きみたちには興味がないでしょう」
「そんなことないです。興味はあるんだけど、なんだか難しそうで」
 彼は読んでいたライブ情報のページをベリベリと破った。
 雑誌をふたりに差し出す。
「これ、あげましょう。きっと最新のCDとかが紹介されてるから、よかったら聴いてみるといい」
「いいんですか?」
「私はこの部分だけで充分」
「なんですか、それ?」
「ライブハウスのスケジュール。ひさしぶりにライブでも聴きに行こうかなと思ってね」
 春だからね、といいかけた言葉を、彼は飲みこんだ。
 そう、階段をのぼりながらたまに休憩するのも、まんざら悪くない。

2010年2月13日土曜日

朝はきらいだ

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #35 -----

  「朝はきらいだ」 水城雄


 朝はきらいだ
 目をさましたとたん
 いろいろなことを思いだす
 今日しなきゃいけない いろいろなこと

 ゴミ出ししなきゃ 先週も忘れた
 洗剤買わなきゃ 薄めすぎて泡も出ない
 ママに電話しなきゃ もう二週間もかけてない
 電気代払わなきゃ 今日にでも止められちゃいそう

 腐ったシチューをいれっぱなしの鍋 洗わなきゃ
 パンクしたまんまの自転車 修理しなきゃ
 玄関ドアの隅っこに張っている蜘蛛の巣 掃除しなきゃ
 彼氏とヨリを戻したばかりのミカの愚痴 聞いてやらなきゃ

 起きなきゃ
 服を着なきゃ
 はがれたネールを塗りなおさなきゃ
 電線してないストッキングを探さなきゃ
 靴をはかなきゃ
 電車に乗らなきゃ
 仕事に行かなきゃ
 今日も生きていかなきゃ

 朝なんてきらいだ
 まばゆい陽がのぼる
 化粧しなけりゃ顔も見せられない
 日焼け止めクリームも塗らなきゃね
 このはちきれそうな二の腕 なんとかしたい

 なんで朝なんかやってくるんだろう
 ずっと夜のままだといいのに
 ずっと布団のなかでぐずぐずしていたいのに
 たったひとり 孤独に生きていることを あらためて確認させられる朝
 今日もまたひとつ 年をとってしまったことを確認させられる朝

 朝なんか来なければいい
 でも朝はやってくる
 毎日かならずやってくる
 朝が来ない日はない
 山手線が止まる日があっても 朝が来ない日はない
 メンスが来ない日があっても 朝が来ない日はない
 地球がまわりつづけるかぎり
 太陽が消滅しないかぎり
 朝はかならずやってくる

 そう 人生にはあきらめが肝心なのさ
 受け入れよう! あなたのきらいな朝を
 歓迎しよう! あたしのきらいな朝を
 そうすりゃ少しは気が楽になる
 かもね

2010年2月12日金曜日

青い空、白い雲

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #40 -----

  「青い空、白い雲」 水城雄


 ぼくの生まれた土地のことを、きみに話そう。
 田舎のほうの、山が谷でくびれ、せせらぎが川となって平野へと流れこむ、その出口のところだ。小さな村となだらかな山があって、人々は長い年月をかけて山と折り合いをつけながら、段々畑や田圃を作ってきた。
 ぼくが生まれたのは、コブシや桜が終わり、藤や桐が薄紫色の花を咲かせるころ、山吹が山裾の小道を黄色く彩るころだった。雪解けの名残り水が田に導かれて水平に広がり、空を映してぬるむと、白鷺が冬眠からさめた蛙をついばみ、子どもらはスカンポを噛みながら畦道を駆け抜ける。
 生まれてしばらくしてから、ぼくは家族とともに街へと引っ越したけれど、いつも思い出すのは野山のことだった。軒先に作られた燕の巣を見つめながら、畑の上の草はらで見つけた雲雀の雛のことを思った。街を歩きながら、風とともに山道を駈けおりたことを思い出した。近所の大きな子どもに囲まれてからかわれながら、ひとり、せせらぎのヤマメを狙ったことを思い出した。
 村を離れたことを後悔してはいない。それはぼくにはどうすることもできなかったことだし、街には街の生活があった。ただ、夜中にこっそり裏口から抜け出し、ひと気のない公園をさまようとき、ぼくの脳裏には谷川から沸き立つように舞い上がる羽化したばかりの蛍の光の渦が見えていた。
 いま、ぼくは、街の中でこうやって身を横たえている。身体の下には、日に照りつけられて熱くなったアスファルトがある。でももうその熱さも感じない。
 買物に出かけた主人を追って道を横切ったとき、ひとかたまりの鉄がぼくを跳ね飛ばし、走り去ったのだ。
 聞こえるのは主人の声だろうか、それとも谷川のせせらぎだろうか。ぼくの頬に生暖かく伝わるのは、主人の涙だろうか、それともぼくの血だろうか。
 やがて静寂がやってくる。
 ぼくの身体は軽くなり、ふわりと浮いて舞い上がる。青い空と白い雲が見える。
 向かうはぼくが生まれた谷と川の里。畑の脇の柔らかい土に埋められて、ぼくの存在は里山になる。

2010年2月10日水曜日

Bangkok

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #26 -----

  「Bangkok」 水城雄


 バンコクの上空は靄がかかっているようにくすんでいる。
 飛行機の窓からは朝焼けが見える。日はまだ昇っていない。ずっと眠っていたパパがぼくの横で身じろぎしてから、充血した目をあける。二時間くらい前に飲んだポケット瓶のウイスキーがまだにおう。
 ドン・ムアン空港はあきれるほど暑く、人でごったがえしている。まだ夜明け前だというのにどうしてこんなに人がいるんだろう。
 ぼくらはバスに乗りこみ、市内に向かう。
 未来都市みたいな空中道路から、街の中心部にそそり立つコンクリートとガラスのかたまりのような高層ビルの群が見えてくる。てっぺんのほうだけ朝日を浴びて、ギラギラと輝いている。パパのDVDコレクションにある古いSF映画のシーンみたいだとぼくは思う。
 ホテルの近くの道ばたには露店がならんでいて、大きな鍋からは湯気が立っている。気温はたぶん、35度くらいあるんだろう。露店の前は40度以上あるにちがいない。鍋の向こうには15歳くらいだろうか、ぼくと同い年くらいの少年が立っていて、巨大なひしゃくで鍋の具をかきまわしている。
 なにを作っているんだろう。やけにおいしそうだ。少し前にパパと食べたトムヤムクンの味が口のなかによみがえってきたような気がするのは、バスのなかにまで流れこんでくる香料のにおいのせいだ。
 渋滞に引っかかってしまったぼくらのほうを、少年がちらっと見上げる。
 目があった。
 浅黒い顔。骨ばった身体つき。真っ黒にちぢれた髪。鋭い目つき。
 学校には行かないのだろうか。それとも、ひと商売してから行くんだろうか。彼が作っているのは朝の通勤客に売るための朝食なのだろうか。それとも朝帰りの酔っ払いのための夜食なのだろうか。一杯いくらで売っているのか。
 バスがホテルに着く。
 熱帯の樹木で飾られた巨大温室のようなエントランスホールが見える。椰子の木にはさまれて金色の仏像が鎮座している。
 きらびやかな民族衣装をまとった若い女性がふたり、バスの外に出迎えにきた。にこやかな笑みを浮かべている。パパにつづいてステップを降りると、そのふたりの女性はぼくにもうやうやしくおじぎをした。
 ぼくはホテルには入らず、このままあの少年の露店のところに走っていきたくなる。あの少年からスープを一杯買って、なにか話してみたくなる。言葉は通じないかもしれないけど。
 観光なんてばかみたいだ、とぼくは思う。

2010年2月9日火曜日

Wind Blows In My Life

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #28 -----

  「Wind Blows In My Life」 水城雄


 お金のためじゃないのよ。
 ええ、チラシ配りのアルバイト。近所をまわって、チラシをポストに入れて歩く。時給はまあまあ、かな。
 このアルバイトだって、チラシで見つけた。うちのポストに入ってた。アルバイト募集のチラシ。それだってだれかが配ったんだ。
 たしかにたいしたお金にはならないけど、どうせ空き時間を使うんだし、なにもしなければ一円だって生まない時間よね。くだらない昼ドラ見たり、茶店で主婦仲間と旦那の悪口いいあったり。
 旦那は、一流企業というわけじゃあないけど、まあそこそこちゃんとした会社のリーマン。営業。頭が薄くなりかけてる。でも、三十五をすぎて頭が薄くなりかけてない男なんて、普通じゃないし、どこかうさんくさい。だからといって、旦那ひとすじというわけでもないけどね。
 いえ、浮気なんかしたことないよ。ちょっといいかな、という男はいるけどね。同級生の旦那で、税理士やってる。遊びに行くと、愛想よくしてくれる。三十五をこえて頭も薄くなってない。同級生の彼女は旦那に愛想つかしてる。なら、うちが取っちゃうよっていうと、どうぞって。離婚しちゃえばいいのに、そうしない。できるわけない。うちだってそうだもん。
 だってそうでしょ。三十すぎて、頭は薄くなってないけどね、女だから、小学校にあがったばかりの子どもがひとりいて、お腹にもうひとつ胸がついてるようなぷにぷにした女、離婚してそれからどうすればいいっていうの。手に職もないしね。せいぜいこうやって歩きまわって、チラシ配って歩くだけ。
 でもけっこう楽しいのよ、これ。やってみてわかったんだけどさ。天気がよければ、歩くのも気持ちいいしね。ばか高い会費払ってスポーツクラブなんか行くより、ダイエットにもなるし、健康にもいいし。
 歩きまわってると、いろんな人に会うのよ。工事現場の警備員さんとかね。あれだってアルバイトだよね。けっこうな年齢のおじいさんとか、茶髪のお姉ちゃんとか、いろんな人がやってる。何度も通ってると、自然に挨拶するようになったりね。いいもんよ、そういうのも。庭の手入れしているおばあちゃんとかね。
 うちなんか、子どもも手が離れて、旦那とはいいかげん倦怠夫婦だし、頭は薄くなってきたし、うちも三十をとっくにこえちゃったし、かといってこれといって特技もないし、自立できるほどの経済力もないし、もう人生終わったみたいな気がしてたのよね。でも、よかった。チラシ配りなんてアルバイト、お金にこまってせっぱつまった人がどうしようもなくなってやるような仕事だと思ってたけど、そう思われてるかもしれないけど、そんなことない。
 そりゃ、もっと効率のいいアルバイトはいっぱいあると思うよ。もっと生産的な仕事とかね。でも、この仕事も悪くない。ていうか、どんな仕事も悪くないんだと思うな。
 そうね。こうやって歩いていると、いろんなものが見えてくる。いろんなことを考える。人生、そう悪くないじゃないって思えてくる。
 なんかね、自分の時間の風通しがよくなるような気がするんだ、チラシ配りのアルバイト。
 あんたもやってみなよ。紹介しよっか?

2010年2月8日月曜日

Cat Plane

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #54 -----

  「Cat Plane」 水城雄


 猫
 猫と飛行機
 飛行機と猫
 飛行機に乗りたい猫
 猫が乗りたい飛行機
 猫だった飛行機に乗りたい
 猫だって飛行機に乗って飛んでいってみたい
 猫は飛行機に乗りたい
 猫が飛行機に乗る
 猫のしっぽが飛行機のしっぽにからみつく
 硬い飛行機のしっぽに柔らかい猫のしっぽがからみつく
 硬くてかっこいい飛行機のしっぽ
 柔らかくて色っぽい猫のしっぽ
 猫
 猫 いい子
 いい子の猫
 猫の子 いい子
 いい猫 いい
 猫 いい
 猫 とてもいい
 猫 とても気持ちいい
 気持ちいい猫 飛んでいきそう
 飛行機に乗って飛んでいきそう
 飛んでいきそう
 猫 いきそう
 猫 もういきそう
 飛行機に乗ってもういきそう
 硬いしっぽでいきそう
 柔らかいしっぽが小刻みに震える
 もうすぐ飛ぶの
 柔らかいしっぽがしなやかに滑走する
 もうすぐ飛びあがるの
 柔らかいしっぽがふわっと浮かぶ
 ほら飛んだ
 柔らかいしっぽが空中に弧を描く
 飛んでる
 飛んでいってる
 どんどん高く飛んでいってる
 猫いってる
 高くたかく
 もっともっと高く
 もっともっと
 猫だって飛んでいく
 猫だって飛んでいける
 だれだって飛んでいける
 飛ぼうと思えば飛べる
 飛ぼうと思わなければ飛べない
 飛べると信じれば飛べる
 飛べるかと疑えば飛べない
 猫だって飛べる
 高く高く飛べる
 どんどん飛べる
 もっともっと飛べる
 何度も飛べる
 猫 飛んでいる
 猫 うんと飛んでる
 柔らかいしっぽがふわりと飛んでいく

2010年2月6日土曜日

Oni

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #46 -----

  「Oni」 水城雄


 暇をもてあまして死にそうになっていた俺は、うまい具合に女に呼びだされた。
 麻須美《ますみ》という名前で、これ以上ないというほど汚い心持の女だ。こういう女の恨みつらみが俺を呼ぶのだ。
 麻須美は男に捨てられたばかりで、半分は自分のせいでもあるのに、男にひどい恨みを抱いていた。それがこれ以上ない醜い心のなかでグツグツと煮えたぎっている。
 俺は麻須美に、
「ひとつだけお前の願いをかなえてやろう」
 といってやった。親切心じゃない。退屈で死にそうだったからだ。
 すると麻須美は、
「オトコに復讐してやりたいのよ」
 という。
「オトコならだれでもいいのか」
「ほんとはあいつに復讐してやりたいんだけど、いまは会ってもくれないでしょうし、このむしゃくしゃした気分を晴らせるならだれだっていいわ」
 お安い御用だ。
 俺は出会い系サイトにアクセスして、だれでもいいから男を一匹釣りあげてこい、と麻須美に命令した。それから小さくなって麻須美の身体のなかにもぐりこんだ。
 麻須美の身体はぽちゃぽちゃして居心地がよかった。とくに居心地のいい場所を選ぶと、おれはすぐにうとうとと眠りこんでしまった。
 そこはふっくらと丸く盛りあがったふたつの丘の片方のてっぺんにある、やわらかなゆりかごのような袋で、俺とて鬼の子、母鬼にあやされていた乳臭いガキのころを思いだして、気持ちよく眠っていた。
 そのうち、男がやってきた。
 俺はのそのそと起きだすと、麻須美の性欲中枢に念を送りこんで、男を誘惑させた。男は簡単に誘惑に負け、麻須美にのしかかってきた。俺としてはこんなのは朝飯前の仕事だ。
 男は麻須美の身体をさんざんいじくったり、なめまわしたりするのに、なかなか俺のいる場所にはやってこない。男の愛撫に感じたらしく、麻須美はどでかいよがり声をあげて身をよじらせている。俺は鼓膜が破れそうになった。
 そうこうするうち、ようやく男が俺のいる場所に吸いついてきた。唇で吸いあげ、舌でべろべろとなめまわしてくる。すると、俺のいる場所、つまり乳首だが、それが硬くなってきて、ふくらんできた。いよいよ俺の出番だ。
 男が強く吸いつくタイミングにあわせて、俺はえいやっと飛びだし、そのまま男の喉から身体のなかを通って下半身へと駆けおりていった。鉄棒を振りかざし、目的のものに襲いかかる。
 力いっぱい、ふたつの玉を交互に殴りつけてやった。何度も何度も。こんな愉快なことはない。
 やがて男は悶絶した。
 俺は男の管の先から外に出ると、麻須美に、
「これで復讐できたな。満足したろう?」
 と聞くと、麻須美は真っ赤に顔を沸騰させて、いった。
「なんで最後までやらせてくれないの! もう帰ってよ! 鬼は外!」
 恩知らずとはまさにこのことだ。まったく人間の女ときたら。鬼の女のほうがずっと優しくていい。

2010年2月5日金曜日

The Underground

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #24 -----

  「The Underground」 水城雄


 暗闇にノックの音が響く。
 こんこん、こんこんこん。
 彼は闇のなかで顔をしかめる。
 だれだ、こんな時間に。いや……そもそもいまは何時だ。
 集中していた。彼が手にしているのは、アフリカの民族楽器。粗末なカリンバ。金属板の響きを共鳴させるためのひょうたんが、先日落とした時に割れて欠けてしまった。しかし、まだ望ましい響きは失われていない。少なくともこの地下室では。
 ほぼ正確にわかっている照明のスイッチを探り当て、明かりをつける。白く乾いた光が、地下室を妙に平面的に照らし出す。
 いつものことだ。
 彼はまばたきをこらえて、ドアをあける。
 青いストライプの制服を着た男が、こぶりの箱を抱えてそこに立っている。なぜか驚いたような表情を浮かべている。
「てっきりお留守かと……」
 三十歳くらいだろうか。彼よりはだいぶ若い。
 制服男が箱を彼に差し出す。中身はなんなのか。そうだ、命をつなぐための最小限の食料品。ネットで定期的に取りよせている。
「サインでもけっこうです」
 男が去ると、彼はもう荷物のことを忘れて、孤独な仕事にもどる。中断された貴重な時間がおしい。
 白っぽい照明のスイッチをいそいで切る。
 時間を音響で再組織すること。それが彼の仕事だ。時間軸のなかに、あるタイミングで音をならべる。音程と音色と強弱のパラメーターを与えた音を、時間軸にそってならべていく。暗闇のなかで。
 カリンバの金属片をひとつ、爪弾いてみる。カリンバという楽器の音色を持った5E音程の音が彼の地下室に響き、短い反響を残して消えていく。正確に一・六秒後に隣の金属片をはじく。5Fシャープの音が響き、そして消える。
 かつては彼もその音列を記録していた。紙に記録し、再現できるようにしていた。彼のその仕事を、人は作曲と呼んでいた。
 いま彼は、記録することをやめている。
 時間を音響で再組織すること。時空を人が支配できる唯一の仕事、それがこれだ。
 音楽だ。
 音は時間と空間のなかで生まれ、そして消えていく。しかしそれは偶然でも無益でもない。くっきりと意図されたものだ。そこには歓喜がある。記録など意味はない。
 音楽。
 それは人の人生のようなものだ。
 いや、人生が音楽のようなものか。
 彼は暗闇のなか、かすかに震える指でカリンバの金属片をはじきつづける。

2010年2月4日木曜日

At the Platform

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #23 -----

  「At the Platform」 水城雄


 彼女は今日も始発で職場に向かう。
 日はまだ昇っていない。まっくらな中、そそくさと身じたくをすませ、アパートの部屋を出る。
 始発電車にはもう乗客がかなり乗っている。サラリーマン、OL、徹夜帰りの若者、制服を着たガードマン風の初老男性。
 会社から支給された駅の売店の制服を着た、化粧っ気のない中年女。それが彼女だ。
 各停に七駅乗って、いつもの駅で降りる。
 あまりひとけのないホーム。売店のシャッターは降りている。
 しゃがみこんでキーを差しこむ。シャッターを引きあげる。ガラガラという音が線路を渡って上りホームに反射する。その音を断ち切るように急行が通過していく。
 商品にかけられた覆いを取り、すでに届いている朝刊の束をならべていく。すぐに中年の男がひとり、経済新聞を一部買っていった。いつもの客だ。
「おはよう」
「ありがとうございます。いってらっしゃい」
 交わす言葉は決まっている。それ以外の言葉を交わしたことはない。
 ここで働きはじめて四年。それは夫と、そして娘と別れていた年数でもある。娘はまだこの路線で通勤しているはずだ。商品デザインの仕事をあの会社でまだ続けているなら。
 ガムをひとつ。30に手が届いているだろうか。OL。
 牛乳を一本。その場で飲み干して瓶を返してよこす。やがて定年だろう。初老のサラリーマン。
 スポーツドリンクと菓子パンをひとつ。短いデニムスカート。たくさんおピアス。若い女。
 昨日発売の週刊誌を二誌と、新刊コミックを一冊。太ったメガネの若い男。
 次々と客がやってくる。
 各停が停まる。かけこんでくる乗客。ホームがからになる。また客がやってきてたまりはじめる。十分おきの繰り返し。
 しだいに乗客の数が増えていく。ピークになるとドアからこぼれそうになりながら押しこまれていく。彼女の売店も忙しさのピークを迎える。そうして波が引くように、ゆっくりと静かになっていく。彼女もほっとひと息つく。
 心なしかスピードを落としゆっくりと通過していく急行が目にはいる。
 ドアのところにこちらを向いて立っている若い女。目があったような気がする。女はしばらく会っていない自分の娘のような気がした。
 向こうにもこちらがわかっただろうか。
 彼女の四年間が一瞬に凝縮され、消える。消えて永遠が残る。
 一日はまだはじまったばかりだ。

2010年2月3日水曜日

Lonely Girl

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #7 -----

  「Lonely Girl」 水城雄


 路線バスがやってきて、停留所に停まる。
 が、その少女は動かなかった。乗らない、という意志を、首をうなだれ、目線を歩道のへりに落として、消極的に運転手に伝えている。
 やがてバスはエアコンプレッサーの音を残して走り去った。
 疲れた街灯が弱々しくまたたき、蛾の踊りを明滅させている。
 私はそれを、反対車線の自販機の前にとめた車のなかから見ていた。
 仕事を終え、ひとりの部屋に帰る途中、まだ自販機のタイマーが切れていない時間であることを確認して、買いに寄った。バス停の前に、ひとりの少女が立っていた。
 中三? あるいは高校生。私の娘と同年代に見えた。Tシャツに短いスカート。素足に黄色いサンダル。夜中、そしてこの季節、ひとりで外出するにしては、軽装すぎるように思えた。
 バスをやりすごしたのは、路線が違うせいか。それとも……
 気になった私はアイドリングを停め、しばらく待った。
 女性がひとり、少女に近づいてきて、声をかけた。少女は振り返ろうともしない。無視して、かたくなに突っ立っている。
 女性が少女の肩に手をかけた。少女が身体をひねって、手を拒否する。
 女性は立ち去ってしまった。また少女がひとり、バス停に残された。
 うなだれた少女が、手をあげ、指を目の下にあてる。
 立ち去ったと見えた女性は、離れた街灯の下のベンチに腰をかけていた。
 少女がまた目をぬぐった。そしてちらりとベンチのほうを見る。
 私は車のエンジンをかけた。
 わが娘のことを思いながら、ゆっくりとアクセルを踏みこんだ。
 少女が顔をあげ、ベンチのほうに歩きはじめるのが見えた。

2010年2月2日火曜日

雨のなかを

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #65 -----

  「雨のなかを」 水城雄


 降りしきる雨のなかを
 どしどし歩いてここまで来た。
 やっとの思いでここまでやってきた。

 雨は苦手なのだ
 雨のなかを歩くのは嫌いなのだ。

 傘をさし
 大きく捧げ持ち
 頭の上にななめに広げ
 なるべく雨に濡れないよう
 吹きつける風にさからい
 ななめに前に押しつけてどしどし歩いていると
 どしどし歩いている私がいた。

 どしどし斜めになって
 どしどし足を踏みしめ
 どしどし顎をかたくし
 どしどし前にすすんで
 雨は嫌いだ雨は嫌いだと世界を分けている私。
 雨を嫌いながら嫌いな雨を押しきって歩いていく私。
 何十年もそうやって歩いている私。

 ここから
 いまから
 私は
 雨が嫌いな私を
 すこしは好きになってやろうと思う。

2010年2月1日月曜日

Move

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- Jazz Story #5 -----

  「Move」 水城雄


 だいぶ上流までやってきた。
 目的の滝壷はまだあらわれない。
 連れてきた息子は、動きも軽く、ひょいひょいと渓流をさかのぼっていく。
ときおり、脚の故障を抱えている私のことを気遣うことも忘れない。
「お父さん、だいじょうぶか?」
「ああ、平気だ」
 私は息を切らしながら、虚勢を張る。
 中学2年生。背丈はもう追いこされそうだ。時間の問題だ。今年中には抜かれるだろう。体重のほうはまだしばらく心配ないだろうが。
 手術のために入院していた妻が、退院し、体調も落ちついてきたので、ひさしぶりにひとり家に残し、息子とふたりでキャンプにやってきた。釣りのためのキャンプだ。狙うはイワナ。できれば尺以上のものをしとめたい。
 場所は数年前に私の釣りの師匠から教えてもらった秘密の支流。このあたりの川も、このところの釣りブームにあおられて都会からの釣り客が多くおとずれるようになったが、秘密の支流はめったに人が入ることはない。本流への合流地点が水面下にもぐっていて、発見されにくい支流になっているのだ。
 息子が歩みを止めた。
 胸までの防水ズボンを着ている。それが岩陰に身をひそめ、竿をそっと突き出す姿は、もういっぱしの釣り師だ。
 私も音を立てないように気をつけながら、息子のいる岩陰に近づいていった。

 息子は、餌の川虫を何匹か張りつけた笹の葉を、口にくわえている。
 目が真剣だ。
 のばした竿先をじっと見つめている。私も見つめる。
 竿先からは細いテグスが伸びている。テグスの途中に結びつけた鳥の羽が、わずかに見えている。テグスの先は、急流のなかのよどみに消えている。川虫をひっかけた釣り針がその先に伸びているはずだ。
 竿先がツンとしなった。
 すかさず、息子があわせる。
 わが息子ながら、なかなかの反射神経だ。
 クンと竿全体がしなり、ついでぴりぴりと震えた。
 かかった!
 息子はものもいわず、竿を慎重に立て、獲物がやっかいな岩陰にもぐりこんでしまわないようにあやつった。
 そう、それでいい。私は背後で手網を用意して、待った。
 獲物が姿をあらわした。
 25センチくらいだろうか。大物ではない。息子が引きよせたイワナを、私は手網ですくった。
 口から針をはずす。
 うまい具合に、餌の川虫はまだ針についている。息子のあわせが早かったせいで、イワナは餌を呑みこむひまがなかったのだ。
 獲物をビクに入れると、私たちはさらに上流に向かった。
 そして、ようやく目的の滝壷にたどりついた。
 大きな滝ではない。高さ5メートルほどから青白い水が流れ落ちている。しかし、水量は多く、深い滝壷が青黒く水をたたえている。細かい泡が深みから絶え間なくわきあがってくる。
 この奥のどこかに、私たちがねらう大イワナがひそんでいるはずなのだ。
 息子と私は背を低くかがめると、滝壷に向かってそろって竿を突き出した。