2010年1月3日日曜日

アンリ・マティスの七枚の音(1)

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----- ファッションPR紙掲載 -----

  「アンリ・マティスの七枚の音(1)」 水城雄


 太陽は空全体をおおった薄い雲のむこうにある。
 よく光のまわったこのような日、彼女の部屋のベンジャミンはライトボックスの上に置いたリバーサルフィルムの被写体のように見える。
 きれいだ。
 でも、彼女はそこでひとつ、ため息をついた。なぜ会うことを承知してしまったのか。仕事もはかどっていないというのに。
 ちょっと気が重い。相手は、その人の書いた小説を読んだことがなくても、だれでも名前を知っている流行作家。
 一時間前、電話のむこうで彼がいった。
「こっちに帰ってきている。会えないだろうか」
 ロイスがことわる口実をさがしていると、彼はつけ加えた。
「まだ送っていない絵葉書が一枚あるんだ。それを渡したいと思って」
 絵葉書がなければ、そしてそれが「一枚」じゃなければ、会う約束はしなかったと思う。
 彼女は答えた
「仕事があるので、少しの時間だけなら」
 彼から最初の絵葉書が送られてきたのは、ちょうど半月前。絵葉書というより、写真だ。光の差しこむアトリエで、ひとりの太った老人が立っている。長い杖を、壁に立てかけたキャンバスに突きつけ、しきりになにかを計算している風情だ。老人は晩年のアンリ・マティスであり、写真は制作現場を撮影したものだ。画家というより、大学の教授かなにかのように見える。
 葉書の表には、差出人の名前と、
「パリにて」
 という言葉だけが書かれていた。
 数日後、二通めの葉書が送られてきた。“コリウールのフランス窓”と名付けられたマティスの絵だった。
 縦に区切られた画面。単純化された色面。よく見なければ、窓というよりも、純粋に色彩で構成された抽象絵画としか思えない。が、色そのものの配置が、見る者にある種の感情を呼び起こすみたいだ。とくに淡い水色、淡い緑の色彩に、心を動かされるような気がする。
 その絵を画集で見た覚えがあった。表には、
「マルセイユにて」
 とあった。
 その後も、数日おきに絵葉書が送られてきた。いずれも室内の描写で、単純な色面で構成されていたり、逆に装飾的なアラベスク模様が描かれていたり。
 彼と最初に出会ったのは、ある小さな音楽祭のレセプションでのことだった。ロイスはその音楽祭のために、曲を提供していた。バイオリンとビオラ・ダ・ガンバのための小品。
 ロンドンからやってきたバイオリン奏者と話していると、その小説家が割りこんできた。
「あなたの曲、聴きましたよ」
 ロイスが少し前に出したアルバムのことをいっているらしい。
「じつにいい。シンプルでストレートな音だ。しかも、これほど若くて美しい人だとは知らなかった」
「ありがとうございます」
 儀礼的な笑みを返した。
「それにとても男性的だと思う。女性特有の湿度がなくて、ぼくは好きだな」
 これは新手の口説き文句だろうか、とロイスは考えた。女優たちとの派手な噂のある流行作家。
 自分となにかの接点があるとは思えないその男と、いま会う約束をした。
 ロイスはピアノの横の白い壁に視線をむけた。
 最初の写真から数えて四枚めの葉書が送られてきたとき、彼女はそれらをピンで壁にとめた。仕事場のマティス、コリウールのフランス窓、金魚鉢の絵、“ピアノの稽古”と題された絵。
 そのあとも絵葉書は続いて、いま、全部で七枚がピンでとめられている。赤い大きな室内、“夢”と題名の女性を描いた絵、そして最後が“音楽”。
 こうやって見ていると、なにかメッセージを伝えているように思える。彼はこの絵葉書を送ることで、なにをいいたかったのだろうか。
 葉書の投函地は全部ことなっている。パリからはじまって、南フランスのマルセイユに飛び、それからニース、リヨン、ブルゴーニュ地方と移動している。最後の“音楽”は、ふたたびパリだ。緑色の地面に立ったりすわったりしている赤い肌の五人の男。ひとりはバイオリンを弾き、ひとりは二本の笛のようなものを口にくわえている。あとの三人はそれを聴いている。背景は青い空だ。1910年の作とある。
 描かれた年代に意味があるのだろうか。
 それとも、題名に意味があるのだろうか。
 あるいは投函地に?
 いま、最後の一枚を渡してくれるという。八枚めの絵葉書。“音楽”の次の一枚。音楽の次には、なにが来るのか。
 興味をうまくかき立てられてしまったのは、彼の思うつぼなのかもしれない。そうやって女たちの興味をかき立てては、スキャンダルを巻き起こすのかもしれない。
 でも、ロイスはどうしても、最後の一枚を知りたかった。
 仕事が行きづまっていることもある。次のアルバムのための最初の一曲。それがどうしても書けない。イメージが固まらないのだ。最初の一曲が固まらなければ、全体も作れない。
 渓流を渡ろうとして、うまく連続した飛び石を見つけられずにいるような気分だった。
 あの小説家も、最初の一行が書けずに立ち往生することがあるのだろうか。
((2)につづく)

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